中屋敷法仁
【中屋敷法仁インタビュー】自分には、演劇しかなかった。
「演劇バカ」である。敬意をこめて、そう呼びたい。こと演劇に話題が及べば、とめどなく言葉があふれてくる。人が何かしらのエンジンで動いているのだとしたら、間違いなくこの人の燃料は、演劇なんだろう。そう思わずにはいられない。『贋作マクベス』から11年、今や20代の作・演出家の代表格にまで成長した『柿喰う客』代表・中屋敷法仁が、自らの歴史について、シェイクスピアについて、高校演劇について、『ゲキ部!』だけにとことん語り尽くした。
(Text&Photo by Yoshiaki Yokogawa)
ずっと自分のことを俯瞰して見ていた。
――中屋敷さんの出身は青森です。小さい頃は、どんなお子さんだったんですか?
小さい頃はずっと円谷プロダクションに入りたいと思ってたんですよ、ウルトラマンが好きで。普通、小さい子どもだったらウルトラマンになりたいって思うんだろうけど、なぜか僕はその頃から自分がヒーローになるっていうのには違和感があって。そんな器じゃないなって思ってた(笑)。だから、つくる側に興味があったんです。
――随分冷静なお子さんだったんですね(笑)。
昔から、自分のポジションを俯瞰して見るところがあるんですよね。たぶん甘やかされて育ったからだと思います。すごく家族から可愛がってもらったから、世界中の人が自分を愛してくれていると信じ込んで育った(笑)。でも、小学校とかに上がると、そうじゃないってことに気づくわけじゃないですか。自分は世界の中心じゃないと。だから、これはいけないなって思って、意識して自分の立ち位置を俯瞰して見るようになったんだと思います。
――お芝居に初めてふれたのはいつのことですか?
小学生の時です。劇団は、仲代達矢さん主宰の無名塾。演目は、『リチャード3世』です。これが、僕の原体験。
――かなり渋いところから始まりましたね。
うちの親が何でも見せた方がいいっていう方針だったんですよ。もう熱狂しました。内容なんてわからないんですよ。でもすごいってことはわかる。仲代達矢さんのこともまったく知りませんでしたけど、ああ、この人はすごい俳優だってはっきりわかりましたから。
2ヶ月後には、三谷幸喜さんが作・演出の『アパッチ砦の攻防』という東京ヴォードヴィルショーのお芝居を観に行きました。これがまたすごく面白くて。こんなに面白い人たちがいるんだって感動しました。
――で、自分もやってみようと。
クラスの出し物みたいなものばかりですけど、かなり真面目にやってましたね。台詞を覚えてきてないやつとか、ミスしてケラケラ笑ってるやつに、本気で怒っていました(笑)。
「つまはじき」だった高校時代。
――本格的に芝居を始めたのはいつからですか?
中学の時に学芸会の指導をしてくれた先生が、地元で役者をやっていたんです。だから指導も本格的。ダメ出しも的確で、ビシビシ言われるから、みんな泣かされていました。泣いてなかったのは、僕だけじゃないかなというくらい(笑)。
中3の時には、地域のアマチュア劇団が参加する市民文化祭に参加して、自分で台本も書いてみたんです。今思えば、あれが僕の処女作ですよ。お芝居とも言えないような、シュールなミニコントでしたけど(笑)。自分の中で思ったよりも「できないんだな」っていう限界を感じました。当時からシェイクスピアとかチェーホフとか読んで勉強しているつもりだった。でも、いざ自分で作ろうとすると意外と本もつくれないし演出もできないんだって思い知った。
それで、その時、ちょうど同じ市民祭に参加していた三本木高校の演劇部を見て。そこは当時県大会にも上がれないような弱小校だったんですけど、ここに入って演劇を続けようと思ったんです。顧問も強くない学校だから自分のやりたいようにやれるって期待はありました。
――入部してから大変だったんじゃないですか?
最悪でした(笑)。正直に言うと、僕は「つまはじき」だったと思います。今思えば反省すべきところなんですけど、プロ志向が強すぎて、どうやっても意識の差があった。僕、高校2年の大会を途中で降板してるんですよ。
――え! どういうことですか?
もともと僕が作・演出で芝居をつくって、それでうちの学校としては数年ぶりに県大会に行けたんです。僕は県大会で満足はしていなかったし、もっと上に行きたかった。でも部全体としては「ここで満足」というような空気が流れていました。他の部員たちと意識の溝は埋まらず、多数決で僕は部を離れることになりました。
シェイクスピアが演出とは何かを教えてくれた。
――じゃあ、そのまま県大会には参加しなかったんですか?
はい。僕は演出も主演もやってましたけど、全部降りました。翌年、3年生になった時、後輩たちに「オレは引退しない。でもその代わり、オレの好きなようにやらせてくれ」とお願いして。そこで生まれたのが『贋作マクベス』なんです。もともと僕の演劇の出発点は『リチャード3世』。とにかくシェイクスピアが好きで、どうしてもマクベスがやりたかった。でも、そしたら部員のひとりが、何でもいいからギャグを入れてくれと言い出したんです。実は『贋作マクベス』って、僕らのセミドキュメントなんですよ。マクベスをやりたい僕と部員とのせめぎ合い(笑)。
――偏見かもしれませんけど、それくらいの年代でシェイクスピアに興味ある高校生って、かなり異色のような気がします。
それはもう一言で言うと感動したからです。理解を超える感動。『リチャード3世』で感動した原体験が、シェイクスピアへ興味を持たせてくれました。
よくいると思うんですよ、『ロミオとジュリエット』とか何が面白いのかわからないって言う人。でもね、これだけ400年に渡って世界中の人に読み継がれている戯曲ですよ。それを否定できるだけの何がお前にあるんだって言いたい。
つまらないって思う感性は疑いません。でも、じゃあそれを「どうして自分がつまらなく感じたのか」という点に興味を持つことが大事。つまらないで切り捨てちゃダメなんです。歌舞伎や能も同じです。わからないではなく、なぜわからないのか。昔の人はこれの何を面白がっていたのか。自分と芝居の間にあるものを俯瞰して考える癖をつけることって、すごく大事だと思うんですよ。
――やっぱり『贋作マクベス』をやってみて学ぶことは多かったですか?
学ぶことばかりだったかもしれません。シェイクスピアは演劇の教科書なんです。だから、初心者ほどやった方がいい。絶対にいろんな発見がある。シェイクスピアは本当に面白いし、勉強になります。僕は高校時代、かなりの本数の作品を書いて上演してきたけど、そんなものよりももっと先にシェイクスピアをやっておけば良かったって、今でもそう思っていますから。
高校演劇は、二度とできないから面白い。
――今の高校生は部活をしながらバイトをしたり、塾に行ったり、あるいは恋愛をしたり。部活にかける気持ちってなかなかひとつに揃わないところの方が多いと思うんです。部員との意識の差で悩む中、どうやって演出として部活全体をまとめていったんですか?
僕は思うんですけど、ひとつにならなくていいと思うんです。みんなが自分と同じ気持ちになるなんて無理だし、危険だと思うから。モチベーションが高い子もいれば、低い子もいる。それでいい。
大事なことは、それぞれにちゃんとこれだけはやってくれっていう責任を明確にすること。たとえ芝居に対する姿勢は同じであっても、出番の多い少ないで作業量も違うし、責任の度合いだって変わると思うんです。そこはちゃんと認めてあげればいい。同じ部員だからって全部一緒にしようという論理だと行き詰まっちゃいますよね。
――では、作・演出をやる人間は、何を大事にすればいいと思いますか?
とにかく俳優を愛すること。それに尽きると思います。脚本家が座組みに届けたメッセージを役者が受け取っていない。演出家が作品と役者を上手くつなげられていない。そういうお芝居は、高校演劇にもよくありますよね。まず作・演出をする人間はもっと俳優を愛して見つめてあげないと。君はギャグが面白いとか。逆に滑舌が甘いから、こういう使い方をしてあげた方がいいかなとか。
顧問創作で強い学校っていうのは、キャスティングが上手いんですよね(笑)。先生は職業柄、生徒を見る目がめちゃくちゃ肥えてる。だから、部活にいるどんな子にも与えられる役をつくることができるんです。引っ込み思案だけど面白いものを持ってる子とか。前に出て目立つのが好きな子とか。いろんな人が輝ける台本をつくってくるから、面白い。
高校演劇はキャスティングが命なんです。あるじゃないですか、芝居はすごく下手なのに、何だか泣けて仕方ないとか。逆にみんなすごく上手なのに、どこかハマッていないような感じがするとか。
――すごくよくわかります。高校演劇って、本当に独特で、プロとはまったく違うもの。だからこそ聞いてみたいんですけど、中屋敷さんは高校演劇の魅力は何だととらえていますか?
やっぱりそれはアマチュアリズムだと思います。高校演劇って、絶対に二度とできないんですよ。何も考えずに、すごく純粋に作品をやっている。大人にはどうあがいても高校生の肉体は手に入らないんです。高校生の体は、本当にその時だけのもの。体がまだ悩んでいるんですよ。自分が人前に立って、芝居をすることに100%納得いってない。そこが面白いんです。
たとえば高校野球は、学校によって様々ですが、一般的にはプロへの予備軍という期待がある。でも高校演劇の場合、そんなことないでしょう。全国大会に出場した子でさえ、プロになりたいという子はそういない。でも、彼らは大勢の観客の前で芝居をする。どうしてこの子はこの台本を書いたんだろうか。この子はこの役を演じることで、これからどうなっていくんだろうか。自分たちの青春時代という貴重な時間を、演劇に費やした。その経験が高校生たちのこれからにどんな影響を与えるのか。そこに僕はドキドキするし、プロの演劇にはない魅力を感じます。
本気で悩める題材にチャレンジしてほしい。
――中屋敷さんは高校を卒業した後も、芝居を続けて、そして今こうして年間でいくつもの舞台を手がける演劇家にまでなりました。自分と他の人の違いって、どこにあったと思いますか?
僕、もともと大学行ってからは、お芝居から離れようと思ってたんですよ。
――え、そうなんですか?
東京は全国からいろんな才能が集まる場所だと憧れていたから、自分みたいな青森の田舎者は潰されるだろうって、そう思ってました。でも、東京に来て、同世代の劇団のお芝居を片っ端から観たら、どこも全然面白くなかった。ウソだろうって言うくらい。驕った言い方ですけど、それなら自分がやってみようと。僕がつまらなければ、きっと誰かが倒すだろう。それは、お客様が決めることだから、とにかく芝居を続けてみようと思ったんです。
――そして、『柿喰う客』を結成された。
やっぱり僕には演劇しかないんです。勉強も運動も平凡だった僕は、演劇しか褒められるものがなかった。演劇がなければ、僕は友達もいなかったと思います。意外とみんな知らないんですよ。演劇以外、生きる道がないという絶望を。何だかんだ言って、結構、他に楽しいことあるじゃないですか。でも、僕にはない。休みがあるよって言ったら、僕はどこにも出かけずに、普段なかなか読めない演劇の本にひたすら没頭する。演劇への圧倒的な飢餓感。それが、僕がここまで来れた理由だと思います。
――では、最後に、今、芝居づくりに夢中になっている高校生のみんなに、中屋敷さんからアドバイスをお願いします。
高校生が書いている台本で一番弱いのは、世界観です。たとえば、父親の会社の描写とか、先生がもらってる給与とか、やけに甘い。勉強すれば書けるのに、見方が一方的すぎるし、そこが弱いとなめられてしまうんですよ。大事なのは、自分の経験とか知っているものとか、自分の中からだけで芝居をつくろうとしないこと。演劇は自分の知らないお客様と出会う道具。だから、自分たちの知らない世界をどんどん求めにいってほしいと思いますね。
どうしても自分の中から書きたいなら、徹底的にリアルに書かないと。だから、高校演劇でいじめを取り上げているのに、その中に誰もいじめられた経験がある子がいないと、ちょっと待てよと思ってしまう。それだともうウソでしかないから。自分を隠してつくるようなものは、プロの作家の仕事です。もっと高校生には自分たちがとことん悩めるものを選んでほしい。せっかく冒険できるんだから、単純にやりたいものではなく、本気で悩みたいと思える題材に挑戦してほしいですね。
本気で悩んでいないものって、すぐ大人に見破られてしまうんですよ。嫌じゃないですか、大人になめられるのって。僕も現役の頃はとにかく大人になめられるのが一番腹が立った(笑)。だからぜひ僕たち大人を感動させる作品を、みんなにはつくってほしいです。
PROFILE
1984年4月4日 青森県生まれ。高校在学中に発表した『贋作マクベス』にて、第49回全国高等学校演劇大会・最優秀創作脚本賞を受賞。青山学院大学在学中に「柿喰う客」を旗揚げし、以降、全ての作品の作・演出を手掛ける。人間の存在や現代社会の退廃的な面を皮肉たっぷりに描き、観客から冷笑を誘うような舞台を生み出すことを得意とし、虚構性の高い独特の演出法は「反・現代口語演劇」の旗手として注目されている。
○公式twitterアカウント:@nkyshk
○『柿喰う客』オフィシャルサイト:http://kaki-kuu-kyaku.com/