畑澤聖悟

【畑澤聖悟インタビュー】なぜ高校演劇は貶められるのか。

3.11で被災した方々のために何かをしたい――その想いから始まった青森中央高校演劇部による『もしイタ~もし高校野球の女子マネージャーが青森の『イタコ』を呼んだら』。八戸、気仙沼、陸前高田。あの頃、多くの日本人がテレビや新聞で何度も何度も目にした土地に、高校生たちはバスに乗って訪れ、生々しい傷跡とそこで生きる人々に真摯に向き合ってきた。被災地での慰問公演を前提につくられた本作では、舞台装置も音響も照明も一切使用しない。衣装も稽古着のまま。しかし、瑞々しい高校生の体と声で表現される1時間は、どんなに技巧を凝らした舞台よりもストレートに胸を打つ。

全国一の栄冠に輝いた後もなお、『もしイタ』は多くの都市で上演され続けている。同校顧問であり、現代高校演劇のフロントランナーである畑澤聖悟に、『もしイタ』を通して感じた演劇の可能性、そして高校演劇のこれからについて聞いた。

(Text&Photo by Yoshiaki Yokogawa)

ずっと迷いながらやっていた。

――8月7日に行われたすばるホール(大阪・富田林市)での公演の後、トークショーで「演劇によって幸福を味わわせてもらっている私たちは、演劇で他の誰かに幸福になっていただく」という趣旨のことをおっしゃっていたことがすごく印象に残りました。この『もしイタ』を経て、先生が改めて感じた“演劇にできること”について教えていただいてもいいでしょうか?

“演劇にできること”って言えるようなことは実はなくて、“演劇でもこのくらいのことはできる”、それくらいの気持ちしかないんです。

――演劇でもこのくらいのことはできる、ですか?

そう。やっぱり慰問をするという観点から言えば、演劇は不便なメディアなんですよ。たとえばAKB48なら30分のステージですむところを、特に今回は高校演劇という枠組みでやったこともあって、被災地の方々は最低1時間は座っていなければいけなかった。それは、状況も考えると、すごくマイナスなことだと思うんです。特に演劇は能動的な参加を要求されるメディア。ただ見ていればいいというものではない。だから、それを被災した方々に強いることはどうなのかな、という葛藤は自分の中でもありましたね。

――自分たちのやっていることの意味はあるのか、と。

でも、逆を言えば、映画や音楽と違って、演劇はそれだけ体験できるメディアでもあると思うんです。当事者として関わってもらうというか、より深いところでお互いが結びつきを持てる。そこに、演劇の可能性というものを感じたかもしれません。もちろん『もしイタ』で被災地を回ったことは後悔していないし、一定の貢献はできたと思う。でも、これがベストだったとは思っていない。もっといい方法があったんじゃないかと常々考えています。

――生徒のみなさんからも、「被災者ではない自分たちがこういう芝居をしていいのか迷いがあった」という声を聞きました。

むしろそういう迷いは絶対に持っていなきゃいけないと思うんです。何も考えずに、被災地を励ましに行きましたなんて顔は絶対にしちゃいけない。僕が今回感じたのは、被災地の方の優しさなんです。みんな、僕たちを優しく迎え入れてくれた。僕たちが傷つかないように気遣いをしてくださった。その温かさに支えられて、やってこられたんです。だから、被災したみなさんに勇気を与えるために来ましたなんて考えは、とても傲慢ですよ。絶対にそういうところに落ちちゃいけない。それだけは強く思っていましたね。

――公演の案内にも「自分たちは被災していない」ということをはっきりと書かれていたことが印象的でした。

東北以外の土地で上演する場合、私たちも被災者として受け⼊ れられてしまうことがあるんです。だけど、それは違う。私たちは被災していない。そこはちゃんと混同されないように、伝えておかなければいけません。同じ東北というエリアに住む者だからこそ、3.11からの距離をしっかり弁えておかなければいけないということは感じていました。

高校演劇は稚拙でつまらないというイメージを破壊したい。

――青森中央高校は、過去10年の全国大会で3度の最優秀賞に輝くなど、現在の高校演劇の世界で強い影響力を持った学校だと思います。ぜひ畑澤先生から、全国を目指す高校演劇生に、今何を学ぶべきかアドバイスをいただけますか。

現役で部活をやっている生徒の中でも、10本以上、お芝居を観たことがある人って少ないですよね。いろんな表現があって、そこにはいろんな良さがある。それが、演劇の面白さ。だからまずは自分たちがやっていること以外にも美しいものがあるのだということを理解しておかなければいけないなと思います。僕、よく言うんですけど、カップラーメンしか食べたことがない人間にキャビアの良さを論じることはできないでしょう。人は、食べたもの以外について語ることはできないんです。長い時間残っているものは、残っているだけの良さがある。だから、たとえば古典であるとか、そういう演劇的教養と言えるものをもっと学んでいけばいいんじゃないかと思います。自分の知っている世界だけにとどまるのではなく、世の中には自分たちのやっている芝居以外のいろんな芝居があって、そこには無限の可能性があるということを知ってほしい。そのためにも出来る限り1本でも多くの芝居を観てほしいと言いたいですね。

――お芝居を観る上で、どんな姿勢が大事だと思いますか?

謙虚に観ること。まずそこだと思います。

――謙虚に、ですか?

そう。役者が下手だからこの芝居はダメとか言ってしまう高校生っているんですが、その判断基準ってだいたい自分たちより下手ってことなんですね。自分たちより声が通らない、自分たちより滑舌が悪い。そんなの大した差じゃないって。なのに、ちょっと下手だとダメなモノだと決めつける。そういう態度は美しいモノを感じ取る機会を永遠に奪ってしまうわけです。芝居の世界には下手が生きるということがある。だから、とにかく謙虚にお芝居を観る姿勢が⼤事だと思います。

――『もしイタ』を観ていると、やっぱり高校演劇っていいなあとつくづく感じます。高校演劇が、高校演劇関係者以外の人にももっともっと広まっていくためには何が必要なんでしょうか?

まずはコンクール以外の場でもたくさん公演をしていくことが⼤事じゃないでしょうか。そういう意味 では、今回公演をさせてもらった⼤阪なんかは⾮常に先進的に活動をしているエリアだと思います。昨年は府⼤会の審査員をやらせていただきましたが、全体の連帯感が全然違う。あれは他の都道府県にはない良さだと思いますね。僕自身も、なるべく誰も知り合いのいない場所で積極的にお芝居をするようにしているんです。どんどんアウェーに出ていく努力をみんなが重ねていけば、もっともっと高校演劇の世界は変わっていくんじゃないでしょうか。

――個人的には、高校演劇というと、どこか不当に下に見られてしまっているところがある。この現状を変えたいなという気持ちはあります。

そうですね。「高校演劇みたいな芝居だ」というような言い方をする人がいるように、高校演劇というものが不遇に扱われてしまっていることについてはどうしたらいいのか。私もよく考えます。たとえば高校野球だって、プロ野球と比べれば、技術的なレベルは確実に下がるわけじゃないですか。だけど、誰も「高校野球レベルだ」なんて責める人はいない。じゃあ、なぜ高校演劇がこんなに貶められているのかと言うと、そんな言い方をする人の半分くらいは高校演劇出身者じゃないのかなって思うんですよね。

――高校演劇出身者、ですか?

そう。だから僕たち顧問の仕事は何かと言えば、部員たちには演劇を好きなまま卒業させること。それだと思うんです。高校演劇で終わりじゃないんです。その後に続く一生の方がずっと長いんだから、部員たちが高校演劇をやっていたことに誇りを持ってもらえるように指導していくことが、顧問の一番の役目だし、高校演劇がもっと多くの人から認められる第一歩なのかもしれません。

――確かに高校演劇出身者が、高校演劇を貶めているという構図はあるような気がします。

優れた⾼校演劇はあるし、⾼校⽣がやるからこそ美しい芝居は絶対にある。私たちはそんな作品をひと つでも多くこれからも⽣み出していかなきゃいけない。『もしイタ』だってそうです。あれは⾼校⽣が 演じるからこそ美しい。よく「⾼校⽣がやっているとは思えない」という感想をいただくことがあるの ですが、そうではありません。⾼校演劇は、稚拙でつまらないものだという認識を、私たちが少しずつ破壊していかなければいけません。

――コンクールなんかを見ていても、高校生だから表現できる眩しさ、繊細さというのをすごく感じます。

だからこそ、コンクールの審査員をされる方々にも、高校演劇に対するリスペクトがあるのかということを問いたいですね。確かに地区大会くらいの場合、内容は玉石混淆だと思います。でも、高校演劇は教育でもある。ボロボロの状態でも、舞台の上に持ってきて、お客様の前で1本演じることに意味があると思うんです。上から目線で作品の出来を批評をするのではなく、審査員にはもっと「後世恐るべし」という視線がなければ。目の前で芝居をつくっている高校生の中には、自分より才能がある人間がいるかもしれない。中屋敷法仁や藤田貴大のようになるのかもしれない。そういうことを頭の片隅に入れて作品を見てほしいですね。なぜなら、そんな可能性を秘めた人間がちゃんと才能を開花させる手助けをすることが、審査員の役割ですから。

――貴重なお話をありがとうございました。先生の今後のご活躍を期待しています!

PROFILE

■畑澤 聖悟

1964年秋田県生まれ。劇作家・演出家。劇団「渡辺源四郎商店」を主宰。青森市を本拠地に全国的な演劇活動を行っている。『俺の屍を越えていけ』で2005年日本劇作家大会短編戯曲コンクール最優秀賞受賞。『ショウジさんの息子』でCoRich舞台芸術まつり2008グランプリ受賞。『親の顔が見たい』で第12回(2009年)鶴谷南北戯曲賞ノミネート、『翔べ!原子力ロボむつ』で第57回(2013年)岸田國士戯曲賞ノミネート。劇団民藝『カミサマの恋』『満天の桜』、劇団昴『猫の恋、昴は天にのぼりつめ』『親の顔が見たい』『イノセント・ピープル』、青年劇場『修学旅行』等、他劇団への書き下ろしも多数。『親の顔が見たい』は2012年、韓国の劇団神市によってソウルでロングラン公演されている。ラジオドラマの脚本で文化庁芸術祭大賞、ギャラクシー大賞、日本民間放送連盟賞など受賞。現役の公立高校教諭であり演劇部顧問。指導した青森中央高校および弘前中央高校で全国大会出場合計7回。そのうち最優秀賞3回、優秀賞3回を受賞している。

 

○公式twitterアカウント:@nabegen4ro

○『渡辺源四郎商店』オフィシャルサイト:http://www.nabegen.com/

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