東京都立東高校

ふたりぼっちの挑戦。【前編】

部員数の低下は、多くの演劇部にとって共通の悩みのタネだ。少人数になればなるほど、できる芝居も限られてしまう。もっと部員がほしい。そう頭を抱えている現役生もきっと少なくないだろう。そんな中、たったふたりで全国大会という大舞台に挑む高校がある。しかも、そのうちひとりは入部間もない新入生。約2500の演劇部の頂点を決める舞台としては、衆寡不敵に見えるかもしれない。だが、ふたりの後ろには、どんな援軍よりも心強い仲間の存在があった。

(Text&Photo by Yoshiaki Yokogawa)※公演写真は除く

演劇部にすべてをかける。それが東高校演劇部の掟。

東高校演劇部には代々伝わる「演劇部の掟」があると言う。

1、病気で部活を休まない

2、アルバイト禁止

3、恋愛禁止

東高校1思わず手を叩きたくなるほどの潔さ。生半可な覚悟では演劇部は務まらない。そんな東高校の鉄の信念がこの3原則から十分に伝わってくる。中には入部を希望してきたものの、この掟を聞いて、次の日には退部を申し出た者もいると言う。賛否はあるだろう。合わない人間には合わないのかもしれない。だけど、その潔癖なまでの演劇部への一本気の愛が、過去10年で3年連続の関東大会出場、さらに2度の全国出場を決めた東高校の強さの秘密なのだろう。そして、この夏、2度目の全国大会の主役として、ふたりの少女が長崎市公会堂の舞台に立つ。たったふたり。華々しい実績とは裏腹に、部員数わずか2名の東高校は、たったふたりで各地方の猛者と相まみえる。その小さな肩は、不安と心細さと、だけど「だからこそ思う存分暴れてこよう」という決意で揺れているようだった。

まさかの主役。そして、まさかのゴキブリ役。

東高校62012年4月。新1年生として東高校へ入学した廣瀬は、迷わず演劇部への入部を決めた。きっかけは、中学3年の学校説明会の時。演劇部の出し物を見て、心を掴まれた。自分もやってみたい。期待いっぱいに飛び込んだものの、当時の部員は、3年生の平井と田中のみ。2年生はゼロ。頼みの綱の新入生も、廣瀬の他にもうひとりいたが、夏を迎える前に退部した。大会には、3年のふたりと廣瀬の3人で臨まなければいけなくなった。

東高校では、例年、3年生は大会では補佐に回る。つまり、必然的にメインを務めるのは廣瀬という状況だった。「演劇をしたいとは思っていたけれど、自分が主役をすることなんて想像していなかった」とたじろぐ廣瀬をよそに、彼女をイメージして1本の戯曲がつくられた。作者はOGの三輪。タイトルは『桶屋はどうなる』。廣瀬が演じる主人公・チャバネは、まさかのゴキブリだった。

「読み終わった瞬間に、面白い、絶対やりたいと思いました」

東高校9冒頭からゴキブリならではの痛快なギャグが次々と繰り出されていく本作は、荒唐無稽なコメディの顔をしながら、ミュータント・ベジ子という突然変異のキャラクターの登場を機に、思わぬ世界へ急変していく。登場人物は3人だけという会話劇の中で、廣瀬演じるチャバネは終始出ずっぱり。キーパーソンとして物語を引っ張っていく。お芝居の経験は文化祭の出し物くらい、という初心者・廣瀬にとっては、荷が重すぎるほどの大役だ。しかし、廣瀬は三輪の書き下ろした台本の力に惹きこまれた。ひるんでいる時間はない。演出も舞台監督も役者が兼任。音響や照明のオペレーションは何とかヘルプの力を借りた。乗員3名の小さな船で、『桶屋はどうなる』は大会に向けて漕ぎ出した。

卒業生が、最大の味方。楽しくて仕方なかった稽古漬けの毎日。

全国出場の経験はあるものの、近年の東高校は目立った結果を残せず、あと一歩の壁がなかなか破れずにいた。今年こそは上位大会へ勝ち上がろう。3人きりの現役生を強力にプッシュしてくれたのが、卒業したOB・OGの面々だった。

東高校14東高校は上下のつながりが非常に濃い。卒業した後も、多くのOB・OGが練習場を訪れては指導にあたる。本番でも必ず数名の卒業生が応援に駆けつけてくれるほどだ。「そんなにすごいクラブだと知って入ったわけじゃなかったので、最初はびっくりした」と語る廣瀬も、先輩たちの意気込みにふれていくうちに、自然と「上に行きたいと思うようになった」と目を輝かせる。公演に向けての練習が始まれば、当然休みはない。平日も土日もなく、稽古漬けの毎日。毎年、公演が終わるたびに何人も脱落する者が現れた。だが、当時のことを思い返す廣瀬の表情に、苦悶の影は微塵も感じられない。

「毎日楽しかったから、全然辛くなかったんです」

慣れない年上との交流に最初は緊張しっぱなしだった。だが、「みんなフレンドリーで、いろいろ話しかけてくれた。だから、いつの間にかあんまり先輩という感じがしなくなったんです」と廣瀬は顔を綻ばせる。周囲からは、孤独に見えたかもしれないひとりぼっちの1年生は、練習を重ねるうちに、3年生との距離もどんどん近づけていった。日増しに深まる部の結束があったから、ハードな練習も楽しいの一言だったのだ。

死に物狂いで気持ちをぶつける。見えなかったチャバネの本気。

だが、そんな廣瀬も本番を前にひとつの壁にぶち当たる。物語は後半、ある衝撃的な事実を前に、廣瀬演じるチャバネと田中が扮するベジ子が感情をぶつけ合う。その場面を、どうしても上手く演じることができなかった。演出やOB・OGからは「死に物狂いでやって」とダメ出しが飛ぶ。しかし、廣瀬にはその死に物狂いの意味がよくわからなかった。

「チャバネは、ベジ子を前にしてある重要な選択を迫られる。生か死かを問うような大きな選択です。そこには、強さや悲しさ、切なさ、いろんな感情が入り混じる。だけど、私にはまだそういう複雑な気持ちがどうしても理解できませんでした」

――廣瀬は、友達と本気で喧嘩したことがある?

東高校10軽い友達付き合いじゃない。お互いの嫌なところもダメなところもさらけ合うような、そんな友情を経験したことはあるか。演出からのその質問に、廣瀬は頷くことはできなかった。まだ15歳。彼女の目に見えるものは、ほんの小さな世界でしかない。だが、チャバネを演じるためには、そんなむき出しの感情を、自分の言葉で、身体で、表現しなければならなかった。自分で経験したこともないような感情を、どう演じれば良いのか。正解を見つけられないまま、廣瀬は地区本番を迎えることとなった。

目指すは関東大会へ。歓喜の第一関門突破。

東高校2東京都の地区大会は、他の都道府県に比べても規模が大きい。東高校が所属する城東地区大会の出場校は38校。その中から、わずか2校のみが推薦校として都大会に進出する。1/19。その狭き門を、各校が全力で競い合う。出場校が多いため、大会も5日に渡って行われる。最初の上演校は8月31日。最後の上演校は10月8日。東高校が引いたのは、10月1日。大会の意義も勝ち残る重みもまだ本当の意味ではわからない。だが、廣瀬にはその想いに応えたい相手がいた。

「先輩から目標は関東だ。だからまずは都に行こうと、そう激励されました」

ここで負けるわけにはいかない。先輩たちの覚悟に背中を押されるようにして上がった舞台は、場内からの温かい笑いで迎えられた。

「楽しいギャグの場面ではいっぱいお客さんが笑ってくれて、それはすごく嬉しかった。けど、後半のメッセージの部分は難しいという声も多くて、課題が残る内容でした」

ラストシーンを含め、物語の構図ががらりと変わる展開についていけない観客もいたと言う。しかし、「40校近い学校の中から自分たちが本当に選ばれるのか、自信はなかった」と不安がる廣瀬をよそに、東高校は見事推薦校として都大会への出場を決めた。

「ウソだろという感じで、全然実感が湧きませんでした」

講評の時間、東高校の名前をコールされても、廣瀬はまったく反応できなかった。3年の平井と田中が歓喜の悲鳴をあげるのとは対照的に、ただ呆然と結果を聞いていた。本当に自分みたいなのが主役のお芝居でいいのか。そんな不安と戸惑いを抱えながら、廣瀬は次なる大会に向けて準備を始めた。

 

>> 後編へ続く

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