岐阜県立池田高校

自己否定と自己肯定のはざまで。【後編】

万全に練習が積めないまま臨んだ地区大会。不安をよそに、池田高校は無事に優秀賞を獲得する。県大会は2週間後。もっといい芝居をつくりたい。その一心で、キャストもスタッフも全員が練習に没頭した。

(Text&Photo by Yoshiaki Yokogawa)※公演写真は除く

芝居を支える誇りを胸に。スタッフたちの知られざる挑戦の日々。

まずは西野教諭が台本に大幅な見直しを加えた。2年の久保田は急遽役柄が変更。イチから台詞を覚え直すこととなった。

池田高校9そして、地区大会を経て立ち上がったのがスタッフたちだった。「地区大会はミスだらけだった」と照明チーフの2年・豊田は後悔の表情を浮かべる。プランが決まったのも本番直前。ろくに練習もできていなかった。けれど、お客様にとって、つくり手の事情は関係ない。言い訳を許さず、プランも新たに見直した。

『麒麟児 -killing G-』はきっかけ数だけでも優に100を超える。高校演劇としては、異例の数字だ。複雑な操作を求められる場面も多く、見せ場となるものの少しでもミスをすれば芝居そのものを台無しにしてしまう。豊田はメンバーと入念に打ち合わせを重ね、それぞれの役割分担を決めた。

「このお芝居の出来はスタッフにかかっている。次こそ絶対にノーミスでやってみせる」

ミスなく正確に操作できるよう、照明メンバーは必死に練習に明け暮れた。

募る不安を越えて。目覚めたスタッフの面白さ。

池田高校24一方、音響チーフの1年・青山も不安を乗り越えようとしていた。これまで音響は3年の若尾が担当してきた。しかし、今回、若尾がメインキャストになったため、青山は初めての音響ながらチーフに抜擢されたのだ。何もわからないまま臨んだ地区大会。ミスを連発し、悔しさを味わった。だけど、その分、覚悟が決まった。

「自分がやるしかない。もっと工夫できることはいっぱいある。私がやれることは全部やりきろう」

そう心に誓った。見せ場であるゴキブリ殺しの場面。麒麟児を演じる吉田のダイナミックな動きを見て、青山はある閃きを得る。麒麟児の動きに合わせて、音のボリュームも変化をつけたら、もっと迫力が出るんじゃないか。予想は的中した。迫りくる音のうねりが、ゴキブリ殺しの臨場感を引き立てた。青山は、音の面白さに開眼した。

「ずっと音響はちょうどいいタイミングで音をかけて、台詞を邪魔しないように音量を調整することが仕事。そう思っていました」

だが、スタッフの力が役者の演技を生かしも殺しもする。その自覚と責任に目覚めた。自ら意志をもって取り組むようになった青山は、CDーJというDJ機器を使い、音楽のピッチまでコントロール。ミキサーを操作して音質に変化を加えるなど、多彩な試みで作品に華と深みを与えた。

池田高校19強力なスタッフワークを得て、役者の演技もますます活気づいた。何度台本が変更になっても、そのたびに新たな輝きを帯びていった。ギリギリまで自分たちを追いこんで臨んだ本番。池田高校は優秀賞に輝き、県代表に選出された。昨年、悔し涙を呑んだ大舞台に帰ってくるチャンスを、池田高校は自分たちの力で手に入れたのだった。

受験と練習の両立。そして決めた舞台監督交替。

中部大会は例年、クリスマスに開催される。それまでの4ヶ月強、池田高校は他の公演をはさみながら芝居全体のブラッシュアップに取りかかった。衣装を担当した2年の四井は、ゴキブリたちの個性をより引き立てるため、これまでの衣装を一新することを決めた。

「全身黒で統一しながら、ジャケットだったり着物だったり寝間着だったり、服装でキャラクターの違いを打ち出すことにしました。さらに、それぞれのキャラをイメージした色をポイントで入れることで、作品の世界観をより鮮明にできればと考えました」

一方で、もうひとつ避けることのできない問題が浮上した。これまで中心となって部を支えてきた3年の中に、受験勉強のため一線から離れなければならないメンバーが出てきたのだ。それが、舞台監督を務める辻だった。

池田高校18高校演劇の世界では、上演前の仕込みに与えられる時間は少ない。わずか15分程度の時間で、装置の建て込みから照明のシュートまですべてすまさなければならなかった。慣れないリハや本番直前直後、舞台監督に課せられる負担は大きい。受験を控える辻にとっては、あまりに重すぎる大役だった。再任用によって引き続き演劇部の顧問を務めることになった高橋教諭は、苦渋の末、辻を舞台監督から外すことを決めた。

悔しさと涙のミーティング。絶対に後悔だけはしたくない。

池田高校4「地区大会、県大会と、ずっと舞台監督をやってきた。だから最後までやり切りたい気持ちは当然ありました。でも一方で受験に力を入れなきゃいけない現実もある。悔しさと申し訳ない気持ちでいっぱいでした」

そう俯く辻を、同じ3年の杉山は複雑な想いで見つめる。辻の代わりに誰が舞台監督を務めるのか。そのことをめぐり、3年生全員で話し合いの場を設けた。しかし、誰も積極的な意見を述べないまま時間だけが過ぎた。杉山は、その状況が悔しくやるせなかったのだ。

「どこかでみんなが誰かがやってくれるだろうと思っている気がした。それが悔しかったし、辻ちゃんにも申し訳なかった」

こみ上げてくる想いは、涙となって溢れ出た。その場で泣き出す杉山に呼応するように、各々が無念の涙を流した。

「3年間やっていれば、それぞれのいいところも信頼できないところもわかってくる。自分がやった方がいいのかなと思ったけど、他の子がフォローしてくれなかったら不安だし、かと言って誰かに任せるのも悪いなというのもあって、何も言えませんでした」

池田高校203年の牧村は、そう沈黙の理由を明かした。ずっと一緒にいたからこそ、わかりすぎていたお互いの長所と短所。そして、ほんの少し足りなかった勇気と優しさ。自分たちの弱さが見えた時間だった。結局、部長の杉山が舞台監督を引き受けた。

「結果がどうであれ、中部大会が私たち3年にとっては現役最後の舞台。だから後悔だけはしたくない。ひとつひとつのことがこれで最後なんだと思いながら、本番まで練習に取り組みました」

蘇るトラウマ。そして見せた最高の演技。

池田高校13一方、迫りくる中部大会に向けて人知れず重圧に悩んでいる者もいた。ゴクツブシを演じた2年の大西だ。大西には、中部大会に苦いトラウマがあった。

「去年、中部大会で本番中に失敗してしまって。あと一歩で全国に行けなくて泣いている先輩たちを間近で見てたから、すごく後悔があったんです。それで今年も同じように失敗したらどうしようと思うと、どんどん不安になりました」

全員がすべてを賭けて臨む舞台。だからこそ、自分のミスで足を引っ張ることは許されない。舞台とは、たったひとりの天才ではなく、みんなで力を合わせてつくるもの。そのことをよくわかっているからこそ、プレッシャーもまた大きかった。

「本番、実はミスって装置を壊してしまったんです」と大西は恥ずかしそうに笑う。極度の緊張状態だからこそ、普段の練習では起こりえないようなことが起こってしまうのが、舞台の怖さであり難しさだ。また、極度の緊張状態だからこそ、普段の何倍もの力が湧いてくるのも、舞台の面白さである。

「ラストシーンは、ゴキりんの胸の内をぶつけるような台詞と叫びで締め括ります。ここが一番の見せ場。だから、いつもここでは今までのシーンを頭の中で再生しながら、感情を思いっ切り解放させて演じていました」

そうゴキりん役の吉田は語る。スポーツの世界に、ゾーンと呼ばれる境地がある。心技体が一致した究極の集中状態。同じように、きっと演劇においても、ゾーンはある。「自分の演技に満足を覚えたことはない」とゴキりんを演じた吉田は言う。けれど、確かに中部大会で彼女はゾーンの片鱗を見たのではないだろうか。

池田高校22「叫ぶ私の掠れた声が、強くて、切なくて、大好きだとあるお客様が言ってくれました。それがすごく嬉しかったですね」

悩みぬいた、“自己否定と自己肯定のはざま”。ラストシーンの咆哮で、吉田はそのすべてを表現しきった。池田高校の中部大会は、拍手と共に幕を下ろした。後は、審判が下されるのを待つだけだった。

運命の講評。選ばれるのは、果たして誰か。

講評の時間の緊張感は、言葉にするのも難しい。誰もが息を飲み、震えを抑えながら、自分たちの名前が呼ばれるのを願っている。張りつめた空気を破るように、審査員が最優秀賞である文部科学大臣賞の受賞校を告げる。

「岐阜県立」

会場におごそかに響いたその言葉に、その場にいた全員の心臓が止まった。岐阜県立で該当する学校は、出場校の中で3校。選ばれるのは、誰なのか。吉田たちは目をつぶり、ぎゅっと拳を握りしめた。

「岐阜県立池田高校」

瞬間、会場中が静まり返った。憧れ続けた大舞台。その願いを叶えた瞬間だった。あまりにも焦がれ続けた夢だからこそ、咄嗟に反応はできなかった。全員で顔を見合わせ、そしてわーっと悲鳴をあげた。

池田高校17「僕、今までの人生の中で嬉しくて泣いたことなかったんです。地区も県も、泣いている女子たちをわりとドライな目で見ていた。でも、あの時はもう涙が止められませんでした」

本番での苦い後悔を抱える大西は、歓喜の瞬間をそう振り返る。去年はあっと一歩のところで栄光を逃した。ほんの少し手を伸ばせば届く場所にあるからこそ、恐怖も重圧も大きかったはずだ。池田高校はそのすべてを乗り越えて、夢の舞台へ辿り着いた。

受け継がれる伝統のバトン。先輩から送る最後のエール。

池田高校5悲願の全国大会は8月、茨城の地で開催される。杉山や牧村、辻ら3年生はその舞台に立つことなく、卒業する。ここまで行き着くのには、いろんな葛藤があった。苛立ちをぶつけ合うこともあれば、喜びで抱き合うこともあっただろう。その歴史こそが、“自己否定と自己肯定のはざま”だっだ。だが、すべては過ぎし日の想い出。彼女たちはひとつの季節に区切りをつけ、新しい扉を開けてゆく。

だからこそ、残された下級生へ託す想いはひとしおだ。「中部の一番に選ばれたという誇りをもって、全国では堂々と演じてほしい」と3年の伊藤は後輩たちを激励する。

「演劇部って休みも少ないし、辞めたいなって思うことはよくあると思う。でも、しんどいけど楽しいよってことを、これから入ってくる新入生には伝えてあげてほしい。私たちが抜けて大変だと思うけど、自分たちらしい演劇をこれからもつくっていってください」

3年の牧村は温かい笑顔でそう結んだ。部長として部を引っ張ってきた杉山も、精一杯走りぬいてきた誇りを胸に、後輩たちへこう宣言した。

眩しく光る演劇部での日々。最高の輝きは、全国の夢舞台で。

「引退したら、演劇部での日々が本当に輝いて見えるから。部活がないと毎日同じことの繰り返しだけど、演劇部にいたらいろんな活動ができるし、いろんな人と会える。しんどいことがあったとしても、ここで悩めることは人生で一度きり。そう思ったら、何でも乗り越えられる。どうかみんなには演劇を楽しんでほしい。全国という大きな舞台で、今まで自分たちがつくり上げてきたものをたくさんの人に観てもらえることを、心から楽しんでほしい」

池田高校21先輩たちのメッセージに、後輩たちは「はい」と力強い声で応える。そこには、一緒に走り抜けてきた者だけが分かつ絆があった。この小さな教室で、彼女たちは泣き、怒り、笑い、そして夢を見た。そして、その夢はまだ終わらない。

最終章は、夏の茨城。共に舞台に立つことはできない先輩たちの想いも受け継いで、彼女たちはまた新しい、自分たちらしい『麒麟児 -killing G-』を、全国の観客の前で披露する。

 
 

※文中に表記されている学年は、大会上演時のものです。

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