東京都立東高校

ふたりぼっちの挑戦。【後編】

ひとりきりの1年生・廣瀬を主役に据え、動き出した東高校は地区大会を順調に突破。目標だった関東大会出場をかけ、都大会に駒を進める。本人が「あっという間すぎて、何かを考える余裕もなかった」という1年間の挑戦は、どんな結末を辿るのだろうか。

(Text&Photo by Yoshiaki Yokogawa)※公演写真は除く

欲を出したら負ける。楽しむことに全力を尽くした都大会。

関東出場を掲げる東高校にとって、都大会こそ決戦の舞台。絶対にここで最高のお芝居を。本番までの1ヶ月足らず、廣瀬たちは稽古に明け暮れた。都大会のステージは、東京芸術劇場・プレイハウス。校内の講堂が会場だった地区大会とは異なり、ステージも広ければ、照明機材も本格的だ。会場の規模に合わせて、セットや小道具をつくり直したり、役者の動きを変えたり、照明をプランニングしたり、対応に追われるうちにあっという間に時間は過ぎ去っていった。

東高校11不安はあった。地区の講評でもクライマックスが胸に迫らないと指摘を受けていた。演出面での改良はもちろんだが、自分自身の演技が変わらなければその評価を覆すことはできない。廣瀬はまだ本気でベジ子を止めようとするチャバネの気持ちを掴めずにいた。
しかも会場の大きさは地区大会の約4倍。なじみの高校も多い地区と違って、客席に座っている顔ぶれはほとんど知らない学校の人ばかりだ。1年生の廣瀬が平常心でいられるはずがなかった。そんな時、3年の平井が廣瀬に声をかけた。

「関東はおまけだから。この舞台を思い切り楽しもう」

ずっと上位進出を目指してきた。そのために今日までやってきた。だが、平井は「欲を出したらダメだから」と笑いかけた。大事なのは、思い切り楽しむということ。廣瀬の中で、ぎこちなく固まっていた何かがするりとほどけていくような、そんな感覚があった。

念願の関東大会進出。近づいてくる別れの時。

審査員特別賞、都立東高校――

待ちに待った都大会の講評で、東高校は真っ先にそうコールされた。沸き上がる平井と田中のかたわらで、やはり廣瀬は状況を飲みこめず、ただ目を丸くしていた。これはどういう賞なんだろう。自分たちは関東大会に行けるのか行けないのか。1年の廣瀬にはそれさえもわからなかった。「関東だ!」と言われて初めて状況を理解した。念願の関東。ようやく自分たちの目標が達成できた。狂騒の中で、廣瀬は嬉し涙を流す余裕もないほどに驚き慌てふためいていた。

東高校16しかし、それは同時に廣瀬にとっては別れの時が近づいていることを意味していた。たとえ次にどんな結果を残しても、3年の平井と田中は否応なしに卒業する。ふたりはこれまで受験勉強と並行しながら練習に参加してきた。その多忙さと精神的な負担は、きっと廣瀬が想像する以上に大きかったはずだ。だけど、ずっと自分を支えてくれた。舞台に立つ楽しさを、2人が教えてくれた。そんな先輩ともう一緒にいられなくなる。この『桶屋はどうする』を演じることができなくなる。廣瀬はようやくそこで、自分がもうすぐひとり取り残されてしまうことに気づいたのだ。

もっとずっと一緒にいたい。初めて見えたチャバネの気持ち。

「だけど、寂しがってる時間なんてなくて、気づいたらあっという間に関東大会になっていた」

東高校13当たり前だが、高校生活は部活だけではない。日々の授業に中間考査・期末考査。3年生のふたりはそこに進路選択が加わる。3人でいられる残りわずかな貴重な時間を、感傷に浸っている余裕などなかった。本当はもっと先輩と一緒に芝居がしたい。でも、卒業を止められるわけもない。廣瀬はそんな葛藤に暮れるうちに、ようやくチャバネの気持ちがほんの少しだけ見えた気がした。「奇形」のベジ子を助けてやりたいと必死に食い下がる献身の心と、自分の健康を天秤にかけ決断をくだす保身の心。ふたつの心で揺れるチャバネの葛藤が、先輩との別れを前にやっと自分のものとして感じられた。

「これで終わりだってわかってる。でも、本当はずっといてほしい。そんなことを考えているうちに、あ、チャバネももしかしたらこんな気持ちだったのかなって思ったんです」

関東大会の本番は、年明け早々の1月12日。関東圏の高校が、北と南の2地区に分かれて、全国の切符を争う。東高校が出場するのは南大会。全国的にも名門と名高い強豪校を含む12の高校が参加した。

「もうこの時は全国に行こうとかそんなことは全然考えてなくて。とにかく楽しくやろう。そのことだけを考えていました」

掴み取った全国への挑戦権。ひとりぼっちで迎えた2度目の春。

東高校12廣瀬自身、まさか自分が全国の舞台に立つことなど、まるで想像していなかった。先輩と立つ最後の舞台をとことん楽しもう。あるのは、その想いだけだった。それがまさかの奇跡を生んだ。並み居る強豪校を抑えて、たった1枚の切符を手にしたのは、東高校。女子高生がゴキブリを演じるという奇想天外なストーリーは、およそ1241キロの距離を越え、見知らぬ土地・長崎で、最後の舞台を飾ることとなった。

「本当に何が何だかわからなくて、壇上で先輩と3回顔を見合わせました。あとは何も覚えてない。表彰状をもらった時も、トロフィーを担いで家に持って帰った時も、全然自分が全国に行くんだっていう実感が湧いてきませんでした」

東高校15OB・OGや先輩たちは、4年ぶりの快挙に大いに盛り上がった。大会当日、帰りにみんなで集まった時には、「これで部員が増えるね」と喜んだ。部員がたった1名となる東高校にとっては、『桶屋はどうなる』を続けるには、どんなに少なくとも2名の新入部員が必要だった。しかし、全国出場という宣伝材料があれば、きっと今まで以上にたくさんの部員が入部してくれるはずだ。そんな期待を抱きながら、平井と田中は卒業。廣瀬はひとりで、新入生を迎えることとなった。

たったひとりの新入部員。ふたりでつくる新生『桶屋はどうなる』。

東高校7しかし、廣瀬たちの楽観は、大きく裏切られることとなる。2013年4月、部活紹介を終え、新入部員が大挙してやってくるのを待ち構えていた廣瀬のもとにやってきたのは、わずか1名。新1年の土田だけだった。まさか。どうして。想定外の人数に混乱する廣瀬と顧問の塚田教諭にとって、土田の存在は「女神のようだった(笑)」と形容する。一方、土田もまたたったひとりの演劇部の現状に戸惑いは隠せなかった。

「もともと中学でも演劇部をやっていて、東高校に来た時に、校舎に『演劇部全国大会出場』って垂れ幕が飾られているのを見て、ああすごいなって思ったんです。でもいざ来てみたら、部員はひとり。正直、どうしようか悩みました」

だが、土田は演劇部への入部を決めた。その理由を「自分でもよくわからない」と土田は答える。

「でも、だからこそどうして自分が演劇部を選んだのか、これからその理由を見つけていきたいと思っています」

3人からふたりへ。人数変更により急遽台本もつくり直された。登場人物はひとり削って、チャバネとベジ子のみに。ベジ子のキャラクターも、作者の三輪がオリエンテーションやワークショップなどの様子を見ながら、より土田が演じやすいように書き換えた。本番まであと1ヶ月弱。この中でどこまで完成度を高めることができるか。それは廣瀬にも土田にもわからない。だが、やるしかない。ふたりぼっちの挑戦の答えは、8月、長崎の舞台に用意されている。

支えてくれたすべての人の想いを乗せて。いざ全国の幕が開く。

東高校3「入部していろいろやっているうちに、気づいたら今日になってたって感じなんです。だから、今もまだ地区大会とか都大会とか、あの頃の自分が何を考えてたのか正直全然わからない」

廣瀬はこれまでの歩みを振り返って、そう締め括った。憧れで飛び込んだ演劇部。まさかこんなにも忙しい毎日を送ることになるなんて、入学したばかりの自分はまるで想像していなかった。激流に飲みこまれるようにして流れ着いた今を、彼女はどう見つめているのだろう。

「でも、週に1回しかない部活とかでのんびりやってるよりは、今の方が絶対に楽しいと思うから、後悔はしてません」

そう笑顔で言い切った。記憶が飛ぶほどの濃密な時間は、確実に彼女の中で芯をつくり、揺るぎのない強さとなってその小さな体を支えている。そんな先輩を見ながら、ニューフェイスの土田もまた決意を固めている。

「中学で演劇をやっていたとはいえ、高校の演劇はやっぱり全然違う。先輩から教えてもらうことがたくさんあります。今はとにかく台本をもっともっと読み込んで、このベジ子という役を自分のものにしたいです」

東高校4「私なんてまだまだクズですけど(笑)」と謙遜しながら、そんな後輩の言葉に廣瀬もまた表情を引き締める。実はまだ廣瀬は一度も芝居が終わって泣いたことがないと言う。激動の毎日は、彼女に号泣させるだけの余韻も余裕も与えなかったのだろう。「自分たちの芝居がどうして評価されているのかもわからない」と自信なさげに口にする。それはきっと本心だろう。そのすべてを理解し、万感の涙を流すのは、もしかしたらこの全国大会がすべて終わった時なのかもしれない。それは、廣瀬にしかわからないことだ。

「やっぱり先輩たちが見て、ガッカリするようなものだけはつくりたくない。それは絶対です。『桶屋はどうなる』は現代に対するメッセージを含めた作品。もちろんその意図を全国のお客様にも届けていきたいけど、とにかく今は私たちの芝居を観て、多くの人が楽しんでくれたらいい。そのために頑張ります」

そう廣瀬は高らかに宣言する。

舞台の上では、ふたりぼっちかもしれない。だけど、そんなふたりを見えないところでたくさんのOB・OGの先輩たちが支えてくれている。それが、東高校の一番の武器だ。だから、廣瀬も土田も決してふたりぼっちなんかじゃない。大勢の先輩たちの期待と愛情を両肩に乗せて、彼女たちは舞台に立つ。誰よりも元気に。そして、どこよりも楽しく。

 
 

※文中に表記されている学年は、大会上演時のものです。

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