佐賀県立佐賀東高校

生きるということ。

全国約2100の演劇部の中でも、ひと際特色豊かな活動を展開している高校がある。佐賀県立佐賀東高校だ。同校では、文化祭や演劇フェスティバルにとどまらず、地方自治体や青年会議所に乞われ、「肝臓がん」や「若者の政治参加」など様々なテーマの作品にチャレンジ。場所も劇場に限らず、時にはショッピングモールのフードコートなど観劇条件が整っていない環境に赴き、年間12作品26公演という驚異的なペースで公演を重ねてきた。そんな同校が初めて掴んだ全国出場の切符。強豪集う全国大会でも大きな感動をもたらした『ママ』という作品には、決して舞台上では語られることのないもうひとつのドラマが隠されていた。

(Text&Photo by Yoshiaki Yokogawa)

最も時間を割くのは話し合い。“みんなでつくる”佐賀東メソッド。

佐賀東5『ママ』は、タイトル通り母と子の物語だ。女手ひとつで自らを育ててくれた母が突然脳梗塞で倒れたところから物語は始まる。主人公のコハルは必死で延命治療を求めるが、金銭面を理由に親戚は首を縦に振らない。そんな時、母が若かりし頃に書いた台本が見つかる。コハルは、若き日の母が描いた破天荒な物語を辿ることで、それまで知らなかった母の一面に邂逅する。最愛の母の死という重大局面に真っ向から向き合った本作は、演劇部顧問・いやどみ☆こ~せい教諭の実体験に端を発している。

「私の母が、救急車で運ばれたんです。私の家も母子家庭。母の最期を意識した時、自分の気持ちがとてつもなく激しく動いた。自分が普通に思っていた日常がある日突然変わったら、人は最後に何を伝えるんだろう。そう考えたのが、『ママ』を書くきっかけになりました」

佐賀東高校の作劇法は実に特徴的だ。まずいやどみ教諭が台本を書き下ろすが、結末はまだ書かれていない。母の生命を問われた時、果たしてどんな選択をするか。生徒たちがとことん話し合った上で、ラストを決める。決定権は、いつも生徒に委ねる。この『ママ』の結末も、生徒たちが話し合いの末に決めたものだ。

通常ならば欠かせない演出のクレジットも佐賀東高校には存在しない。なぜなら、「みんなでつくる」が信条だから。大会で『ママ』を上演すると決めた時も、生徒たちはこの作品を通して何を伝えたいか。車座になって、何度も何度も意見を交わした。

物語の切り口こそ母の死ではあるが、彼らが伝えたいのは決して死ではない。台本を深く読みこみ、みんなで考えた上で決めたテーマは「生きるということ」。だからこそ、母の描いた劇中劇の場面では、登場人物たちは躍動感たっぷりに舞台を駆け回り、表情豊かに気持ちを交わし合った。

佐賀東7その演技も、決して誰かの指示によるものではない。みんなで話し合いながら、どんなふうに動いたらいいかアイデアを出し合う。いやどみ教諭が部員たちに手渡す段階の台本には、ほとんどト書きが書かれていない。ト書きで動きやリアクションを指定してしまうことで、自分の心が追いついていないのにト書き通りに演じてしまうことを避けるためだ。ト書きで描かれていない余白の部分を、一人ひとりの役者がどれだけ想像し、その役になり切って舞台上で生きることができるか。佐賀東高校の演技に本物の命が宿っているように見えるのは、生徒の主体性を最大限に尊重しているからだ。

リンクする現実。入院中の父へ贈る『ママ』。

佐賀東2それは、取材も半ばを迎えた頃だった。

実はこの『ママ』という作品は、旧3年生の卒業により、全国出場では大幅なキャスト変更があった。主人公・コハルもそのひとり。これまで女性役だったコハルを敢えて男性に変え、2年の新郷が新たに演じることとなった。その心境を尋ねられた新郷は、当初、少し答えにくそうな面持ちで、含みのある返答に終始していた。そのことを横で聞いていたいやどみ教諭に指摘された新郷は、逡巡の表情を浮かべた後、決意を固めたようにゆっくりとその口を開いた。

「実は、この滋賀には、未練を残してきたんです」

新郷はその言葉をきっかけに、胸の内に秘めていたものを整理するように、そっと本心を語りはじめた。

新郷の父は、今、重い病に倒れ、入院中の身だった。最初の入院は、昨年、『ママ』を県大会で上演した頃。当初はそれほど深刻な病状ではなかった。手術を経て、程なく退院し、自宅療養に移った。事態が急変したのは、九州大会の後。二度目の緊急搬送があり、容体が悪化した。一進一退の状態が続く中、全国本番の約2週間前、さらに症状が悪化。今なお深刻な状況が続いている。物語さながらの現実が、この小さな少年の身に降りかかっていたのだ。

「お母さんと先生から“笑顔には病気を治す効果があるから”って言われて、それでお見舞いに行く時はいつも笑顔でいるようにしていたんです」

その日も、そのつもりだった。決戦の地・滋賀へ旅立つ大事な日。新郷は父に笑顔で激励され見送られる姿をイメージしていた。しかし、病室の父は体調悪化により声を出すのも精一杯。ついに笑顔を見せてくれることは一度もなかった。

「何を話しかけても一度も笑わなくて、ずっとキツイ顔をしたまま。そばにいるだけで効果があるからってお母さんに言われて、ずっとそばにいたんですけど、本当は泣きたくて。何か言葉が必要なはずなのに、そんな時に限って何を言っていいのかもわからない。その場にいたら泣いちゃうから、もう早くここから出たいって思っちゃったんです」

佐賀東4別れ際、新郷は必死の想いで「頑張ってくるよ」と声をかけた。だが、どうしても父の顔を見ることはできなかった。

「お父さんも“頑張ってこいよ”って言ってくれたんですけど、全然笑っていなくて。あの時の窓際でボーっとしているお父さんがずっと忘れられないんです」

ただ笑顔で見送られたかった。だが、病魔はそんなささやかな望みさえ許さなかった。舞台の上で母の延命を必死に願った少年は、現実でも父の病気という過酷な運命と必死に戦っていたのだ。

涙の先にある絆。同じ悲しみを分かち合う仲間たち。

佐賀東9そんな新郷の悲しみをそばで誰よりも深く感じ取っていたのが、同じ部員たちだ。遡ること6月の半ば、話し合いの場で新郷は父の病気のことを初めてみんなに打ち明けた。看護師のミユキを演じた2年の山田は、新郷の背負った運命に、苛立ちを覚えるほどのショックを受けた。

「何、この運命って。こういう運命を神様が与えたのだとしたら、なんて残酷なんだろうって思いました」

山田演じるミユキは、母の死を前に行き場のない悲しみを抱えるコハルを、優しく強く抱きとめる役だ。ミユキもまた母の死という悲しみを乗り越え、命の現場に立っているが、演じる山田も実は物心もつかないうちに両親が離婚。母の顔を知らずに育った。さらに育ての母である祖母とも早くに死別している。

「父親が仕事で忙しかったので、祖父母のもとで私は育てられました。その祖母を亡くしたのが小学2年の時。今でも、手術室の前で親戚のみんなが泣いている場面を鮮明に覚えているんです。祖母の死に目にも立ち会って、心電図が一直線になるところも目の当たりにしました。このミユキは、ハルミの死の立会人のような役。必然的に祖母が死んだ時のことを思い出さざるを得なくて、演じる上ですごく負担がありました」

ミユキがコハルを抱きしめる場面は、本作のハイライトのひとつ。決して嘘のない演技を見せるためには、山田自身も新郷の悲しみに向き合わざるを得なかった。

「練習中、パッと見たら、みんなが笑っている中で(新郷)樹だけ笑っていないことが何度かあったんです。台本を膝に置いてボーッとしている樹を見るたびに、今お父さんのことを考えているんだろうなと思った。でも話しかけたらスイッチを入れたようにいきなり表情が変わるんです。だから樹と何かを話したいというよりは、考えすぎちゃって逆に何も話せませんでした」

また、母・ハルミを演じた3年の部長・江藤も特別な想いもって役にのぞんだ。

「私が演じるハルミは、樹くんにとってのお父さん。ハルミは自分が死ぬことなんてまったく知りません。だからせめてハルミが自分のすべてをかけて息子を愛していたんだってことは伝えたいと思って、ある場面を演じました」
それは、物語の終盤。まだ倒れる前のハルミが、コハルと日常の何気ない会話を交わす場面だ。どこにでもある朝の風景。死に直面しているからこそ、その些細な一言が胸に沁みる。短い場面だが、そこに想いのすべてを注いで江藤は母の愛を体現した。

もうひとつの家族の存在。みんなの前だから思い切り泣けた。

いやどみ教諭は、コハル役に新郷を選んだことを「決して父親の病気があったからではない」と断言する。普段から決して我儘を言わず他人のことを心配する真面目で優しい新郷が、母親の生殺与奪を握る役どころを演じた時、どう判断するのか見たかった。新郷ならこの役を真剣に考えてくれるはず。そう信じて、重大な難役を新郷の小さな双肩に託したのだ。

そしてまた新郷も高校2年生が背負うにはあまりにも重い境遇に立たされながら、部活へ来ることから決して逃げはしなかった。むしろ、彼は部活に来ることを自らの意志で選び、毎日の稽古に取り組んだ。

佐賀東6「みんなと話しているときがいちばん笑っていられたんです。こんな状態だからこそ、ここに来たいなって思った。お父さんの話をした時、みんなが泣いてくれて、みんながお父さんが退院することを望んでくれているのがわかった。僕にとってはこの演劇部がもうひとつの家族だったんです。家族の前じゃこんなに泣けないんですけど、みんなの前だから、お芝居だから思い切り泣けた。もうひとつの家族があって本当に良かったって思っていました」

一瞬で駆け抜けた60分。瞼に焼きつく最後の光景。

佐賀東8「頑張ってこいよ」という父のか細い声を胸に、新郷は仲間と共に滋賀へと降り立った。本番前、みんなの心をひとつにするべく楽屋で音楽を聴きながら全員で手をつないで円になった。部長の江藤はこれまで一緒に駆け抜けてきた仲間たちの顔を見つめながら、こう話した。

「本番の舞台は、私たちにとっても、観てくださるお客様にとっても、一度きり。一回しかできないこの舞台に私たちの想いを全部ぶつけよう」

佐賀東高校演劇部の本番前の合言葉は“やったったろー!”。その掛け声は、普段は緊張屋という山田を不思議とリラックスさせた。

「台詞を間違えたらどうしようとか一切考えませんでした。袖にいる時から私はもう演じるミユキでありユウコでありミーシャだった。山田真彩がどこにもいなかったんです。だから不安も何もありませんでした」
山田は憧れだった60分の舞台を「何も覚えていない」と振り返る。ただ記憶にあるのはラストシーンのその瞬間だけだ。

「いつも稽古で使っている視聴覚室や、これまで練習で使ってきた公民館とか稽古場の風景が次々と甦ってきて、最後は物語に出てくる月食の月だけが記憶の中に浮かんでいました」

新郷も緞帳が下りてなお「幕が閉まった実感がなかった」と不思議そうにその時の様子を思い返す。

「“撤収してください”って言われるまでボーっとして、ただ涙が止まらなくて。楽屋に戻っても終わった実感がまったくなかった。ホテルに帰ってきて、ようやく落ち着いてから、ひとつの大事な『ママ』との旅にひと区切りがついたんだなって思うようになりました」

『ママ』がくれたもの。旅は、これからも続いていく。

佐賀東3劇中、ある登場人物が「旅も人生も同じだろう」という台詞を口にする。そう、この『ママ』と過ごした約1年は、彼らにとって長い長い旅だった。それは決して楽しいばかりの旅ではなかった。生と死と向き合い、自分の内面のすべてをさらけ出すような体験だった。

だからこそ、この旅は彼らに何をもたらしたのか。聞いてみたいと、そう思った。

「今生きていることも全部当たり前であって当たり前じゃないんだなって。この演劇部に入ったこともそう。もし演劇部に入らなかったら、こんな想いを経験することもできなかった。全部そんな運命になるように神様が仕向けてくれたのかなって思うと、ありがたいなって感じるんです」

丁寧に、言葉をひとつずつつなぐように江藤は思いの丈を口にする。高校3年生という若さで、母性愛を表現することは決して簡単ではなかったはずだ。だが、その経験は彼女自身に家族の大切さを気づかせる契機となった。

「部活で帰りが遅くなった時も、いつも母親がソファで待ってくれているんです。どうしても次の日の朝が早い時は、“ごめんね”って書き置きを残してくれて。まだ私は母親になったことがないからわからないけど、子どもを想う母親の想いってすごいんだなって、『ママ』を通じて改めて実感しました」

一方、山田は中学3年の時から佐賀東高校演劇部に入部することが夢だったと言う。そんな彼女にとって『ママ』という作品を演じることは、運命も同然だった。『ママ』を経て、山田の視線はもうすでに新しい未来に向けられている。

「『ママ』を通じてたくさんの出会いを得て、それを糧にここまで来た。家族と過ごす時間は減ってしまったけれど、佐賀東の部室は私にとってもうひとつの帰る場所なんです。二つも帰る場所があるなんて、とても幸せなこと。私にとって『ママ』との別れはひとつの節目。決してここで佐賀東高校演劇部が終わるわけじゃない。もちろんもっと『ママ』を演じたいし、『ママ』を演じるみんなを見ていたいって気持ちはあるけれど、決して寂しくはない。むしろ、また“やったったろー!”っていうくらいです」

新郷は本番の舞台に立つ時、「もう一度、お父さんに観てほしいという気持ちで立った」と言う。すべてを終えて、彼はもうすぐ故郷へ帰る。彼を待っている厳しい現実は何も変わってはいない。新郷はこれからも自らに課せられた運命と向き合い、乗り越えていく。そう、自らが演じたコハルそのもののように。

佐賀東10「お母さんから“強くなったね”って言われるんです。確かに『ママ』という作品をやっていなかったら、お父さんがこういう状況になった時、もうとっくにはち切れていたと思う。でも、いろんな偶然とか運命が重なり合って、『ママ』という作品ができた。それはもう“すごい”って言葉だけじゃ言い表せない領域の話。病気のお父さんを前に笑顔でいられたのも、『ママ』のおかげ。『ママ』という作品があったから家族と話す機会も増えた。『ママ』が僕を強くしてくれたし、僕を救ってくれたんです」

涙を払い、少年はそう言葉を結んだ。旅は、続く。航海は、終わらない。たとえ荒波に打ち上げられ、進路を見失っても、彼らは生きて、生きて、生き続ける。きっとこの『ママ』と過ごした時間は、彼らのこれからの航路を照らす灯となることだろう。どうかその行く末が温かく美しい景色に続いていますように。懸命に今を生きる彼らの姿に、そう祈らずにはいられなかった。

INFORMATION

■高校演劇全国大会出場校招聘公演

 

今回ご紹介した佐賀東高校に加え、

同じく全国大会で好評を博した大分豊府高校の2校の作品が、

8月2日、大阪・すばるホールにて上演されます。

 

入場料は無料(整理券不要)。

全国まで行けなかったという方はもちろん、

全国で観たけれどもう一度観たいという方までお気軽にご来場ください。

 

日時:2015年8月2日(日) 14:00(開場は10分前)

会場:すばるホール 2Fホール

料金:入場料無料(整理券不要/全席自由)

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14:00 大分県立大分豊府高校演劇部『うさみくんのお姉ちゃん』(作/中原久典)

 「おまえの姉ちゃん、怖ぇんだよなあ・・・」

うさみくんのお姉ちゃんと周囲の人たちが繰り広げるハートフルコメディをお届けします!

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15:15 佐賀県立佐賀東高校演劇部『ママ』(作/いやどみ☆こ~せい・佐賀東高校演劇部)

ある日突然、「ママ」が倒れた。「延命治療をどうするか」、ぼくは決断を迫られる。

「いのち」を決める最後の夜。約束の夜。ぼくはママが描いた不思議な世界へと旅に出る……。

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詳細はこちらをご確認ください!

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