学校法人追手門学院 追手門学院高校

変わり続ける日々の中で。【後編】

40年に渡って部を支えた名物顧問が去り、新顧問を迎えた古豪・追手門学院高校演劇部。まるで別の部のように体制が一新する中で、多感な高校生たちが見たものとは果たして何だったのだろうか。

(Text&Photo by Yoshiaki Yokogawa)

さらなる問題勃発。変化が、人を成長させる。

追手門14『変化をめぐる習作のいくつか』は、新・追演を強く印象づけ、府下でも大きな話題を呼んだ。9月の文化祭でも再演し、手応えを得た追演だが、コンクールに向けて新たな問題が持ち上がった。部長の森口、そして3年の前山と小阪。これまで主要な役どころを担ってきた3人が受験のため引退することとなったのだ。

「私たちは1年の時も2年の時も府大会には行けなくて、だから最後の年こそは絶対に府に行きたいという想いがあった。でも、受験もあるし、家のこともあって、最終的には断念しました」

「大会に懸ける想いは人一倍強かった」と自認する前山はそう悔しさをにじませる。森口の演じた部長役は、受験を終えている池田が引き継いだ。だが、こうした変化もまた創作過程に刺激的な反応をもたらした。3年の出口が言う。

「残ったのは、『変化をめぐる習作のいくつか』のエチュードであんまり案を出せていなかったり、今いちまだやり方を掴めずに悩んでいたメンバー。さて、この顔ぶれでどうしようかと思っていたら、今まで前に出てこられなかった人たちが物語を動かすようになったんです」

追手門8その象徴的存在が、3年の東だ。大会で上演した『フツーニアルアシタ』に、クラスメイトに誰彼構わず挨拶をする男の子が登場する。このモデルとなったのが、他ならぬ東。エピソード自体、彼の実話だったのだ。

「今までずっと周りの流れに乗っているだけだったんですけど、そうはいかない状況になって。自分もしっかりしなきゃクラブが終わるなと思った。それで、できないなりに自分の意見を出すようになりました」

一方で、一緒にやってきた同期たちが突然部活を去ったことに3年の松岡たちは心を痛めた。卒業まで当たり前のように一緒だと思っていた。だけど、そんな日常が突然終わりを告げた。それは、阪本教諭からいしい教諭へ、顧問が交替となった時と同じだった。地平線の先まで伸びるこの道のように、ずっと続いていくと思っていた日常。だが突然道は分断され、人は喪失を味わう。普通にある明日なんて、ない。永遠なんて、どこにもない。だけど、そこで生きていかなければならない。

再び起きた変化に直面しながら、『変化をめぐる習作のいくつか』から『フツーニアルアシタ』へ。またひとつ羽化をした追演はその小さな羽根を広げ、大会という大舞台へと飛び立った。

もっと大きな舞台へ行きたい。不退転の覚悟で臨んだ大会本番。

追手門5新顧問・いしい教諭と共に迎えた初めての大会。一時は強豪校のひとつとして数えられていた追演も最後に府大会に進出したのは3年前まで遡る。今年こそはという想いは、特に上級生ほど強かった。栄光への執念を胸に挑んだ本番。出来栄えにも、まずまずの納得感はあった。結果は、最優秀賞。3年ぶりに府大会進出の切符を掴んだ。

「結果を聞いた時、誰より喜んでいたのはたぶん私だと思います。もちろん自分が行けない悔しさはある。でも、みんなが頑張っている姿を見て自分も受験を頑張れた。だから純粋に嬉しかったんです」

部長という立場でありながら、大会直前で引退を決意した森口は、歓喜に沸く部員たちを祝福の気持ちで見つめていた。受験を控え引退するべきか、続行するべきか。最後の最後まで悩んだ。みんなでミーティングの場を持ち、揺れる心中をありのまま語り尽くした。その上で、決めた引退という結論。だから、嫉妬心はない。むしろそんな自分たちの揺れ惑う気持ちさえも作品にしたこの『フツーニアルアシタ』をもっとたくさんの人に観てほしい。そう願っていた。

追手門10「今思うと何でか知らないんですけど、死ぬほど勝ちたかったんですよ。何でこんな勝ちたいのか自分でも不思議なくらい。僕は別に勝ち負けにこだわる性格じゃないし、命をかけて演劇をやりますってタイプでもない。でもこの3年間、全然上手でも何でもないけど、いいことも悪いことも含めて、部活を続けてきた。だから、そこで負けるのは嫌だったんです」

松岡の言葉にぐっと熱がこもる。当然だ。高校演劇は、卒業したら二度とできない。この仲間で大会を迎えられるのも、この年限り。だったら絶対に負けたくない。もっとたくさんの人に観てほしい。それは、とても自然な欲求だった。

無念の敗退。達成感と悔しさのはざまで。

追手門11しかし、追演の挑戦は、府大会をもって幕切れとなった。近畿大会の3枠に自分たちの名前を呼ばれることはなかった。仕方ない。悔しい。あそこはもっとああすれば良かった。でも今の自分たちのベストは尽くせた。相反する複雑な気持ちが胸の内を去来する。

「さっき先輩が言ったラーメンとケーキの話じゃないけれど、評価って難しい。だから仕方ないのかなとは思った」

2年の河崎が審査されることの戸惑いをそう口にすれば、3年の松岡はその難しさも受け止めた上で、きっぱりとこう言い切った。

「たとえラーメンとケーキだったとしても、もっといいものやってたら相性が悪くても勝てるものは勝てたやろうなと思う。だからもっと自分たちができたら良かった」

正解なんて、あるはずない。消化しきれぬ想いを抱えながら、追演は3年ぶりの大舞台を後にした。

変化とは何か。迷いの中で見つけた答え。

追手門152016年3月。大会から4ヶ月あまりが過ぎ、3年生たちは卒業式を迎えた。しかし、演習室を覗けば、今もまだ3年生を含めた追演たちは変わらぬ練習の日々を送っている。その輪には、かつて受験で引退したメンバーの姿もある。そう、彼らの『フツーニアルアシタ』はまだ終わっていない。恒例の3月公演でもう一度、この『フツーニアルアシタ』を上演することを決めたのだ。HPFとも大会とも違う。今このメンバーだからできる作品で、自分たちの1年に決着をつける。変化の1年に、彼らは自らひとつの区切りを打とうとしていた。

恩師が去り、新しい先生と出会い、仲間が増え、練習場所が変わり、お揃いのTシャツがなくなった。今までとまったく違う演劇のつくり方に戸惑い、向き合い、試行錯誤しながら、自分たちの作品をつくり上げた。そんな1年を経て、今、高校生たちは「変化」について何を想うのだろうか。

追手門23「僕は変化はずっと嫌やなって思ってて。今あるそこそこの幸せを捨てて、何もわからないところに行くことに拒否感があった」

そう持論を述べる松岡も卒業を迎え、新しい場所へ旅立つ。一緒に過ごした仲間とも別れの時だ。

「今でも変化についていい気持ちはしないけど、変わるしかないこともある。だったら、今までのことをちゃんと残しながら変化を受け入れていくのがいちばん良い手じゃないかなっていうふうに考えるようになった。それが、この1年間の変化です」

走って転んで、立ち上がって。危うく不確かな明日を生き続ける。

変化は、何も部活という小さな世界に限った話ではない。人生はいくつもの変化が連なって、一本の物語を紡ぐ。変化とどう対峙するか。それは、すなわちどう生きるかということだ。

追手門2その象徴と言える場面が、『フツーニアルアシタ』の中にある。『フツーニアルアシタ』では、部員たちの日常を描きながら、合間に何度もある練習風景が挟まれる。「走れ」「止まれ」「跳べ」「転べ」――その掛け声に合わせて、部員たちが走り、止まり、跳び、転ぶ。序盤は、その光景はあくまでただの練習の一部にしか見えない。けれど、物語が進むにつれ、それは別の熱と輝きを帯びていく。いろんな変化の中で、それでも走り、止まり、跳び、転ぶ。その姿が、まるで変化に抗い、それでも生きる所信表明のように映るのだ。

「歩いて、走って、跳んで、転んで、また立ち上がって走って。これには、これからの人生に通ずるものがあるって先生に教えてもらいました。私が演じた部長は、前に進むために部活を辞めるという役だったので、“走れ”では前に進まないといけない気持ち、“止まれ”では今この時間を大切にしたいなって気持ちを感じながら、3年間の想い出とかこれからの未来とかいろんなことを思い浮かべていました」

森口から役を引き継ぎ、大会で部長を演じた3年の池田は、あのシーンにこめた想いをそう振り返る。追演の部員たちは、テキストに潜むほんの小さなディティールさえも的確に読み取り、驚くほどクリアに自分の言葉で言い表すことができる。それは、ここにいる全員がこの1年間、自分たちの内側で起きた変化について真摯に向き合っていた証左に他ならない。

追手門6「あの場面は、人生だなって思っていて。走り出したけど転んじゃって、それでも立ち上がってまた走り出していく。それは、今の私たちと同じ。先輩方もこれから社会に出て、大変なこといっぱいあるけど、それでも進み続けるんだろうなって思うし、私たちは私たちでこれからも追演の伝統を途絶えないようにつなげていく。あのシーンは、これからも走り続ける決意なんだって思って演じていました」

これは、1年の川瀬の言葉だ。もうすでに“40年の伝統”を知らない世代が、追演で着々と育ちはじめているのだ。

変化が起きた時、人がとる行動は実に多種多様だ。拒否反応を起こし徹底抗戦に乗り出す者、受け入れられずその場を離れる者、周囲に流され染まりゆく者、その意味を考え自分なりに噛み砕く者。何が正しいわけでもない。何が間違っているわけでもない。変化を受け入れたように見える追演でさえまた、その胸中は日々変わり続けていることだろう。移ろう季節のように、流れゆく雲のように。

追手門21しかしたら、そんな変化の一瞬を切り取ることこそが、演劇をつくるということなのかもしれない。彼らはもう永遠なんてないことを知っている。その若い肉体も、内側で常に細胞分裂を繰り返し、変わり続けている。決して戻らない時間の中で、その一瞬にしかない煌めきを焼きつけること。今この瞬間の想いを、秒単位でつくり変えられていく肉体をもって解き放つこと。その尊さに観る者は心を動かされ、あるいは涙を流すのかもしれない。だから、たとえ同じテキストであっても、同じ芝居は絶対に生まれない。演劇とは、激流の中で打つ楔のようなものかもしれない、と彼らを見て思った。

2016年3月、追演はまた刻みつけることだろう。この一瞬にしかつくれない、自分たちだけの物語を。

※文中に表記されている学年は、大会上演時のものです。

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INFORMATION

stage56988_1そんな追手門学院高校の等身大の今を描いた『フツーニアルアシタ』が、3月25日から3日間にわたって上演されます。

追演のこの1年の集大成、そしてきっと明日へ続く物語。ぜひ劇場でお楽しみください!

 

■追手門学院高校 演劇部『フツーニアルアシタ』

<作・演出>

いしいみちこ

<出演>

追手門学院高校 演劇部

<日程>

2016年3月25日(金) 19:30~

2016年3月26日(土) 14:00~/19:30~

2016年3月27日(日) 14:00~

※全4ステージ。上演時間は約65分を予定しています。

<料金>

フリーカンパ制・要予約

 

○公演詳細ページ(ご予約はこちらから)

http://stage.corich.jp/stage_detail.php?stage_main_id=56988

○追手門学院高校 演劇部ホームページ

http://otemon-dramaclub.jimdo.com/

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