第62回全国高等学校演劇大会に行ってみた。【2日目】

もうまさに超絶濃厚な大会2日目!
観客全体を味方につけた爽快エンターテイメントから、
涙腺崩壊の感動作、さらには一枚の絵画のようにリリカルな作品まで、
演劇の幅の広さを、そしてそれをたった1日で骨の髄まで味わえる面白さを、
改めて教えてくれる貴重な体験となりました。
 
ということで、お待ちかね2日目の上演校を振り返っていきます。

(Text&Photo by Yoshiaki Yokogawa)

岐阜県立岐阜農林高校『Is(あいす)』

IMG_0463
比較的、しっとりとした堅実なお芝居が続いた1日目とは対照的に、
まるで王道スポーツ漫画のように
見る人みんなが楽しめる娯楽作を提供してくれた岐阜農林高校のみなさん。
 
男子バスケット部しか存在しないある農業高校に突如現れたバスケ少女・通称“S”。
体はSサイズ、実力はS級。だけど性格は超ドS。
そんな彼女を中心に結成した素人だらけの女子バスケット部と、
学業と部活の両立に悩む男子バスケット部の、
バスケに懸ける青春模様を熱たっぷり汗たっぷりに描いていきます。
 
女子バスケ部の存続に否定的な女性顧問や、
高慢でアクの強いライバル校のエースなど、
スポ根に欠かせないパーツはしっかり押さえつつ、
そこにイチゴ栽培とアイスクリームのエピソードが加わることで、
岐阜農林らしい独自性のある物語となっていました。
 
たった60分の間に相当数のエピソードがつめこまれていきますので、
ひとつひとつの掘り下げやキャラクターの描きこみは決して十分とは言えませんが、
その分、見応えは抜群。
チームメンバーを信じられないSが、バスケの下手な男子部員・愛地との関わりを通じて、
心の氷を溶かしていくさまは、まさに爽やかな青春の1ページそのものでした。
 
生徒講評委員会でも、
「ゴールが決まるたび、バスケットゴールのネットが揺れるのがすごいと思った」
「普通、トラックまでつくらない。ドアまで開いてビックリした」
「アイスクリーム製造器からちゃんとアイスが出てきた瞬間は驚いた」と
こだわりぬいた舞台装置を絶賛。
「自分が弱いのをわかった上で周りにつらく当たっているSが、
 出来ない自分にイライラして親や周りにぶつかっちゃう自分と重なった」など
登場人物に自らを投影する人たちもいました。
 
岐阜農林高校のみなさん、お疲れ様でした!

北海道清水高校『その時を』

IMG_0452
時代の変化とともに高校生の描かれ方もまた変わっていきます。
そんな中で変わらないのが、男の子はどんな時代でもおバカであるということ。
いつだって頭の中にあるのは好きな女の子のことだけ。
自転車を漕ぐだけのことにも子どもみたいにがむしゃらになれる。
そんな男子高生の魅力を余すことなく描いたのが、この『その時を』でした。
 
冒頭からツカミはオッケー。
エア自転車でフォーメーションを自在に変えながら通学路を爆走する男子高生の愛らしさに
客席から笑いの渦が巻き起こっていました。
 
閉校が決まり、もう新しく下級生が入ってくることのない田舎の高校。
そこに通う5人の男子高生の前に、可愛い転校生の女の子・青木が現れます。
こんなシチュエーション、もう恋におちないわけがありません。
青木の一挙手一投足に次々と胸を撃ち抜かれていく高校生の単純さをコミカルに表現。
何とか転校生のハートを掴もうと妄想する男子高生の姿に、
「男って本当バカだなあ…」と客席中が温かい母の気持ちになっていました。
 
そんなのどかな日常の中で浮き彫りになってくるのが、青春の一回性です。
3年生の彼ら彼女らは様々な場面で「これが最後」という瞬間を味わっていきます。
中でも特に印象的だったのが、野球部員の亮祐。
部員がいないため、最後に大会に出ることもかなわない。
そんな亮祐が、以前の学校でソフトボール部に所属しながらも、
ある事件をきっかけに部にいられなくなった青木と全力投球対決する姿には、
瑞々しいというよりも、どこか切ない雰囲気が。
きっと多くの人が自分の青春の一場面を重ね合わせたのではないでしょうか。
 
生徒講評委員会でも、
「男子高生役の動きのキレ具合が素晴らしいなと思った」
「男子高生になりたいと思った。あのノリを体験してみたい!」
とおバカな男子高生に多数の支持が集まる一方、
「蛍が出てくるシーンと、夕焼けの空の下で野球をしているシーンが印象に残った。
 照明がマッチすることで、そのときしか感じられないものがあるということを強く感じられた」
「切ないけど、これも青春なんだなと思った」と、
等身大の青春模様に憧れと共感を募らせているようでした。
 
北海道清水高校のみなさん、お疲れ様でした!

佐賀県立佐賀東高校『ボクの宿題』

IMG_0467
昨年の『ママ』で、会場に号泣の雨を降らせた佐賀東高校。
今回も泣かせるストーリーで、観客の琴線を揺らしました。
 
家庭を顧みず、ギャンブルに熱中し、自分の好きなもののために生きた父・純一。
そんな父に愛想を尽かし、家を出ていった母の面影を追う息子の恭一。
この親子の心の交錯が、「30年後の私」を作文にするという息子の宿題を通じて、
抒情的に描かれていきます。
 
高校、大学、社会人と、自分が大人になっていく姿を父と共に想像する息子。
けれどその足取りは、実は放埓に生きた父の人生を追体験するものでした。
 
仕事はまるで長続きせず、競馬に明け暮れ、息子の運動会さえ足を向けない。
「未来を語ることに恥じる必要はない」と豪語する父の半生は、
からっぽで、情けない、ダメな男の悔恨の日々でした。
 
けれど息子は、母に捨てられた父を受け止め、
もう一度両親が仲良く並んで笑っている風景を夢見て、
未来へと走り出す決意をします。
黒で固められた衣裳の中で際立つ、目の覚めるような赤いバラが、
愛と祝福の象徴のようでした。
 
思えば、どんなに家のことをしない父親でも、
唯一、電球を取り換える作業だけは、どこの家庭も男の仕事だったような気がします。
そんな電球の取り換えを通じて、
父が息子の未来を照らしていくというのも、非常にシンボリックでした。
 
身体の奥底から感情を振り絞るようにして吐き出す、佐賀東の渾身の演技は今回も健在。
息の合った集団演技も一層パワーアップし、強豪校の強さを感じさせてくれました。
 
生徒講評委員会では
「『LEDは時間が経てば明るくなる』という台詞が、
 今回の劇が通りだなって思った」という鋭い洞察が。
号泣のあまり言葉が接げない人も多数いる一方で、
「私は感動しなかった」という声も見受けられました。
そんなところも、この作品の面白さのひとつと言えるのかもしれません。
 
佐賀東高校のみなさん、お疲れ様でした!

埼玉県立芸術総合高校『解体されゆくアントニン・レーモンド建築 旧体育館の話』

IMG_0457
今大会で唯一、外部のプロの作家による既成脚本で全国出場を決めた芸術総合高校。
趣向のオノマリコさんの戯曲を1時間に構成し直し、
芸術総合高校ならではの『Q体』を見せてくれました。
 
まず特筆すべきは、そのつくりこまれた美しい世界。
全身白の衣裳に、裸足の女性たち。伸びやかなバレエの動き。
見るからに年代物とわかる木製の椅子。照明がつくり出す窓からの陽射し。
そこにオノマリコさんのポエティックな台詞群が折り重なることで、
まどろみの中で見た儚くも鮮烈な夢のような世界が広がっていきました。
 
大学というのは、高校とはまた違う不思議な社会です。
そこには覚えきれないほどたくさんの人たちがいて、
まるで糸がもつれるように知り合い、仲を深めては離れていく。
最もモラトリアムな時期だからこそ、その交流は高校以上に刹那的と言えるでしょう。
 
誰もが名前を持たない個であり集団であるような大学という不思議な世界を、
「息吹」「平穏」「癇癪」「哲学」「飴玉」など属性のような名前を持った
女性たちが浮遊感たっぷりに演じていきます。
 
私たちは、いつでも永遠というものに憧れを抱きます。
けれど一方で、流れゆく時の速さに対しては愚かなほどに無自覚です。
この物語も、たった1時間の間に4つの春夏秋冬が過ぎ去っていきます。
その中で、彼女たちの関係性もほつれ、綻び、繕い、またほつれ、
18歳の頃とは確実に違う何かへと変わってゆく。
それを決して高らかに語らず、
まるで陽だまりの下で交わしたある日のおしゃべりのようなさりげなさで描いていくからこそ、
心が吸い寄せられました。
 
解体が決まった旧体育館。
長い歴史はあっという間に取り壊され、
もうどこにもその形跡を見つけられない、ただの広場になる。
まるでいつか自分がどこかで体験したかのように、その光景が鮮やかに頭の中に広がりました。
 
生徒講評委員会では、「理解できていないところが多い」と正直な感想が漏れる中、
「今まで見た劇と全然違う。まったく別物のような世界」
「見た目は綺麗だけど、お話自体はむしろ汚い感情が前面に出ている。
 子どものときは何も考えずに生きていけるけど、
 大人になると何も考えずには生きていけないのだと思った」
と、自分たちの見たものを精一杯解釈しようとする姿が頼もしく映りました。
  
芸術総合高校のみなさん、お疲れ様でした!

徳島県立阿波高校『2016』

IMG_0449
あまりにも濃密な2日目のラストを締めくくったのが、阿波高校の『2016』。
今から30年前、まだ校内暴力の嵐が吹き荒れていた1986年の学校を舞台に、
そこから30年後の未来を想像することで、
現代社会のいびつさを炙り出していくという構造が、まず痛烈でした。
 
中でも特に風刺的だったのが、やはり原発問題でしょう。
1986年と言えば、チェルノブイリ原発事故が起きた年。
ですが、日本にとってはどこか対岸の火事のようで、
放射線量を計測している先生を除けば、ほとんどが楽天的。
日本で原発事故が起こることなどあり得ないと言い切り、
むしろ原子力は未来のエネルギーとして希望視されていました。
 
1986年の生徒たちは科学の力を盲信し、
30年後には学校にわざわざ登校しなくてもパソコン通信で授業を受けられる、
そんな21世紀を夢想します。
けれど、2016年に生きる私たちから見れば、そのどれもがまだ夢物語でしかなく、
むしろあり得ないと断じたはずの未来が、現実のものとなってしまいました。
 
あれほど壮観だった世界貿易センタービルは崩れ果て、
暴力は根絶されるどころか、今や世界中がテロの危険に脅かされています。
車は空を飛ばないし、ロボットが友達になる日もまだ遠い先の未来の話です。
 
私たちは、1986年を生きる少年少女たちに、
どれくらい堂々と2016年の今を見せることができるのでしょうか。
 
暴力に倒れ、未来に希望を見出せない不良生徒・ミーナが立ち尽くすラストシーンに、
そんな疑問を突きつけられたような気持ちになりました。
 
生徒講評委員会でも、
「難しかった」「何回か見ないと理解できない」と首を傾げる人もいれば、
「最後の場面でみんなが雨に濡れないようにしていたのが、
 これからさらに環境が悪くなることの暗示かと思った」と想像をめぐらせる人も。
さらにそこから2016年を生きる高校生の視点として、
「昔の人に比べて、今の私たちは電子機器で何でもできる。
 その分、気持ちを軽々と伝えすぎているのかなと悲しくなった」
「ヤンキーは上下関係は厳しいけれど、その分、結束も強い。
 今はつながりはたくさん増えたけれど、ひとつひとつのつながり自体は薄くて、
 科学の発展によって、人とのつながりが薄くなってしまうのは嫌だと思った」など
人と人とのコミュニケーションに目を向ける人がたくさんいました。
 
阿波高校のみなさん、お疲れ様でした!

そして運命の最終日へ!

熱い感想・解釈が繰り広げられた2日目も終了し、
いよいよ全国大会も最終日を残すのみに。
最後の2校は、まさかの2人芝居、1人芝居という、
これまでの上演校とはまったく異なるスタイルの高校が残されました。
この組み合わせの妙も全国大会の楽しみですよね。
果たしてどんなドラマの幕が上がるのか。
最後までみんなで応援していきましょう!

ToTop