学校法人精華学園 精華高校
「底辺」たちの逆襲。【後編】
当初の下馬評を大きく覆し、無名校から一躍スターダムにのし上がった精華高校演劇部。しかし、大会を次々と勝ち進む一方で、次第に彼ららしさは失われ、小さな不協和音が流れはじめようとしていた。大会の台風の目となった「底辺演劇部」がエンドロールの先に見たものとは。
(Text by Yoshiaki Yokogawa Photo by Ai Miyazaki)
全然面白くない。厳しいダメ出しに号泣したミーティング。
途中、大阪私学芸術文化祭典、泉州学生演劇祭のため小休止を打った『駱駝の溜息』は、年明け、春秋座での招待公演『演じる高校生』に向けて本格的に再始動する。春秋座は、京都芸術劇場内に設けられた大劇場。近畿地区の高校演劇生にとって憧れの舞台のひとつだ。新しく1年の西嶋がメンバーに加わり、勉強のため休部していた3年の比奈本も復帰した。念願の大舞台を前に、気持ちは最高潮に高まっているはずだった。しかし、1年の角野は練習場に集まる部員たちの態度に不満をくすぶらせていた。
「みんな、全然練習に気持ちが入っていなくて、正直、こんな芝居に照明なんて当てたくないって思っていました」
角野の不満は、春秋座の本番前日、リハーサルの場で表出する。新しくつめこんだネタの数々がまるで受けない。稽古では面白かったはずなのに、実際に芝居につなげてみるとクスリとも笑えなかった。白々とした空気がホール内に立ちこめる。気づいたら、劇場スタッフがうとうとと居眠りをしていた。それはまるで悪夢の文化祭の再来だった。悄然とする部員たちに、新入りの西嶋が追い打ちをかける。
「リハの楽屋で初めて『駱駝の溜息』を読んだ時に、めっちゃ面白いって思ったんです。でも、実際に舞台で演技をしているのを観て、何もかも中途半端で、これで本当に全国に行くのかと思いました」
リハが終わった夜、ミーティングの場で西嶋は正直な感想をぶちまける。
「面白くなかったことしか記憶に残らないくらい面白くなかった」
その辛辣な言葉に、全員、打ちのめされるしかなかった。悔しさのあまり山口は号泣した。どこで何を間違えたのか。猛スピードでサクセスストーリーを駆け上がった部員たちは、初めて大きな壁に直面した。
原点回帰への決意。輝きを取り戻した本番当日。
そもそも『駱駝の溜息』は底辺演劇部の泣き笑いの3年間を凝縮した芝居だ。報われなかった演劇部員が、それでも未来の部員に向けて一縷の望みを託して本音を告白する。そのリアリティが、共感を呼んだ。けれど、悲願を達成した部員たちからは、少しずつ悲壮感が消え、ある種の余裕が漂っていた。演技も上達した。芝居そのものも成熟してきた。けれど、引き換えに大事な何かを失ってしまった。誰にも認められなくて、自信がなくて、それでも何かを伝えたくて舞台に立っていたあの頃の気持ちを、どこかに置き忘れてしまっていた。もっと面白くしようと小手先のネタに走った『駱駝の溜息』は、すっかりその輝きを錆びつかせてしまっていた。
小松教諭はそう決めた。部員たちも一様に頷く。新たに付け加えたネタはすべて削ぎ落とし、初演の時のような自分たちの想いを見せるシンプルな芝居に立ち返った。春秋座の本番は、笑いと拍手に包まれた。
そして3月、『駱駝の溜息』はいよいよラストステージを迎えた。5泊6日の遠征合宿の中、行われる山梨小演劇祭、そして第7回春季高等学校演劇研究大会。クライマックスを前に、小松教諭は不安を拭えずにいた。これまで審査員からは「演技は上手くない」と評されてきた。出場校と肩を並べてみても、その自覚はある。一方で、練習を重ねるうちに、少しずつ演技が磨かれている実感もあった。地区大会の映像と見比べても、今の方がずっとテンポがいい。しかし、なぜか地区大会の頃の方がすっと台詞が胸に入ってくる。その違いに、言い知れぬ危機を感じていた。また、主力の3年が去った後のことを考えれば、1・2年の成長を促すために何か働きかけずにはいられなかった。そこで、小松教諭は山梨小演劇祭の本番直前、1年の西尾を呼び出して、あることを仕掛けた。
3年生だけ報われてずるい。波紋の一言に隠された真意。
「先生に、本番前にこんなことをみんなに言ってほしいって頼まれたんです。正直、それを自分で言っていいのかわかりませんでした」
わけもわからぬまま、西尾は小松教諭の指示に従い、山口たち3年に向かって、こう言い放った。
「3年生のみんなは全国に出場して、最高のかたちで卒業できる。でも、私たち1・2年は違う。これから新入部員が入ってくるかもわからへん。ただ、全国に行ったっていう重みだけが残される。全然報われへん」
西尾の言葉に、山口は切れた。当然だった。西尾は、決して練習熱心な部員とは呼べなかった。なぜ西尾からそんなことを言われなければいけないのか。山口は怒りを抱えたまま舞台に立った。
「冷静になれたのは、本番の途中。一度、袖にハケた時でした」
山口は憤然たる想いを引きずりながら、舞台袖で出番を待っていた。頭の中ではグルグルと西尾の言葉が回っている。なぜ西尾はいきなりあんなことを言ったのか。考えているうちに、ふとある答えに行き当たった。西尾が自分の考えで、あんなことを言うわけない。だったら誰かが後ろで手を引いている。誰か。決まっている、先生しかいない。
「ハメられたんやなと、その時、気づきました」
この芝居は、報われなかった高校3年生の話。そのことを小松教諭は、もう一度、山口に実感させておきたかった。だから敢えて山口を奮起させるような言葉を投げかけた。小松教諭の企みは山口だけでなく、1年の西尾の変化にもつながった。
「正直、今までずっとなかなかやる気が持てなかった。地区大会で最優秀賞をもらった時も、みんなが泣いている中、自分だけ泣けなかったんです。でも、先生からあの言葉を言わされて、ようやく私も本気になれた。自分が頑張らないといけないんだと思えた。この合宿は、自分の中でも今までで一番成長できた1週間でした」
『駱駝の溜息』と旅をした、夢のような7ヶ月。
長かった『駱駝の溜息』は、福島県・いわき文化芸術交流館アリオスでフィナーレを迎えた。ずっと緊張しっぱなしだったリハーサルも、今までで一番落ち着いてこなせた。ひしめく全国の強豪校の演技に圧倒されながら、たくさんの刺激を受けた。
井上は怒濤の7ヶ月を「『駱駝の溜息』と一緒に旅をしているような気分だった」と表現する。同じく3年の比奈本も「『駱駝の溜息』は3年間の想いがつまった作品。今までのどの台本よりも思い入れがある」とかみしめる。
コミュニケーション能力を鍛えるため、小松教諭に命じられるまま入部した光永は「自分自身、変わることができた」と成長を感じ取っている。黒崎から「うなずくだけじゃなく、声を出して返事するようになったもんな」と横から茶々を入れられるさまは、舞台上でたくさんの人から愛された「みかん先輩」そのものだった。
全員がこの3年間を自分なりに一歩一歩踏みしめながら歩んできた。一緒に入部した同期がいなくなることもあった。演劇部であることを笑われることもあった。けれど、この3年間で過ごしてきた輝きは誰にも負けない自信がある。
「僕自身は、『駱駝の溜息』に対して思い入れがあるわけではないんです」
山口は予想に反して、そう言い切った。
「あるのは、演劇部で過ごしてきた3年という時間に対する感謝。それだけです」
山口は卒業したら照明の勉強をするため専門学校の道に進む。残りの3年生もそれぞれの将来に向けて別々の道を歩きはじめる。それでも、山口は部への愛情と責任をきっぱり宣言する。
「まだまだ教えてあげられていないことがいっぱいある。だから、今の1年が卒業するまではちゃんと面倒を見てあげたい」
生まれはじめた伝統と絆。創部4年の短い歴史の中に、山口たちははっきりと名前を残した。
とにかく楽しんでやること。それが、自分たちらしさ。
1年の角野は「初めて福島に立って、そして次の全国が岩手と聞いて、来年も行きたいって、そう思いました」と目を輝かせる。自信のない3年をよそに、最初から全国の大舞台を信じて疑わなかった角野。彼女の意気込みは、自分のためだけのものではない。世代交代を経て、新部長に就任した2年の越知への敬意があった。越知はこれから唯一の2年生として部を引っ張っていかなければいけない。だからこそ、「最後にもう一度、越知先輩を全国へ連れていってあげたい」と角野は誓う。越知もまた言葉少なに部長としての責任を感じはじめている。
「次は私がみんなを全国に連れていきたい」
そう宣言する一方で、「でも」と続ける。
「代が変わったからと言って、何も変えたくはない。今のまま楽しくやっていけたら」
変な気負いはしない。あくまで楽しむことが第一。それが精華高校演劇部のスタイルだ。無名の挑戦者から一転、次の大会は追われる者として多くの学校からマークされるだろう。だからと言って何かかっこつけるわけではない。自分たちは、自分たちだ。「夢のようだった」と口を揃える7ヶ月に終止符を打ち、精華高校演劇部は自然体で次なる一歩を歩みはじめる。
※文中に表記されている学年は、大会上演時のものです。
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