学校法人精華学園 精華高校
「底辺」たちの逆襲。【前編】
廃部寸前の危機に立たされた演劇部の奮闘と本音を独特なゆるさで描いた『駱駝の溜息』。演劇部ってイケてない――そんな学校内にひそむ生徒間のカースト意識を笑いに変え、演劇部に対する愛を飾り気のない生の言葉で綴った本作は、同じ演劇部員から圧倒的な共感を呼んだ。結成から4年目にして掴んだ春季全国大会出場。実績ゼロの無名校が瞬く間に大会を勝ち上がるさまは、それ自体がひとつのドラマのように見えた。ハイスクール・ドリームの中心にいた主人公たちは、そこでどんな景色を見ていたのか。快進撃の裏側には、報われずに過ごした3年間の想いがあった。
(Text by Yoshiaki Yokogawa Photo by Ai Miyazaki)
大失敗に終わった文化祭。奇跡は、ここから始まった。
それは、悪夢の1時間だった。
退屈そうにあくびを繰り返す客席。興味を失った観客は、隣の友人と雑談にふける。まだ芝居の最中でありながら席を立つ者も後を絶たなかった。舞台上では、動揺した役者たちの冗長な演技だけが続いている。完全に集中力を欠いていた。敵陣から逃走するように緞帳が下りる。地区大会の10日前、学内での文化祭でのことだった。
「もともと文化祭で公演をする予定はありませんでした。けど、学校の都合で急遽上演することが決まり、まだ練習が仕上がらないうちにお客様の前に立つことになってしまったんです」
作・演出兼部長役を演じた3年の山口は決まりが悪そうにため息をこぼす。台詞も動きも固まりきらない中で臨んだ本番。当然、観客の評価は散々だった。副部長役の3年・井上も「当時の映像を見たら、別の意味で涙が出る」と苦笑いする。春季全国大会出場という高校演劇生にとっての悲願を達成した『駱駝の溜息』は、そんなどん底からのスタートだった。
とは言え、彼らが苦汁を舐めるのは、今回が初めてではない。もともと部員ゼロだったところを、顧問の小松教諭の呼びかけで新創された部だ。名門校のような立派な実績があるわけではない。これまでも生徒創作では、演劇というよりもコントが中心。それも、会計を演じた3年の黒崎いわく「スベッてばっかり」だったと言う。『駱駝の溜息』の部員たちは、自分たちの3年間を重ね合わせたキャラクターだった。
自分たちの3年間をカタチにする。そして、生まれた『駱駝の溜息』。
「3年間、演劇部をやってきて、やっぱり最後の大会だから少しでも勝ち上がりたかった。そこで、この3年間で楽しかったこと、辛かったことをそのまま台本にしようと思ったんです。だからここに出てくるネタはほとんど実話。キャラクターもそれぞれ部員の特徴をとらえながら当て書きでつくっていきました」
たとえば、「みかん先輩」の愛称で親しまれた変わり者の部員・富永を演じたのは、3年の光永だ。富永は劇中、演劇部に入部した理由を「お前はコミュ力がないから演劇部に入れと担任に勧められたから」と打ち明けるが、これは光永が当時の担任だった顧問の小松教諭に言われた言葉だった。会計が「3時間もある野田秀樹の芝居を上演されて帰りたくなった」と愚痴を吐くのも、山口が外部公演で出演した『キル』を観に行った黒崎自身の感想をもとにしている。「何度も退部しようとした」と言う井上演ずる副部長は、物語の中盤で唐突に部活を去ってしまう。その姿に、自分と似たものを感じずにはいられなかった。
「最初に台本をもらった時、みんなの前ではケラケラと笑っていました。けど、家に帰ってひとりで読んだら、3年間のことを思い出して、つい泣いてしまいました」
決して平坦な道のりではなかった。厳しい先輩に叱られたこと、渾身のギャグがまるで観客に受けなかったこと、地区大会で敗退したこと。いろんな想い出がよみがえった。だからこそ、音響を務めた3年の谷山はエンディングの一曲に、自分たちの想いを注いだ。
「有名な曲はそれぞれ既成のイメージがある。だから劇中に人気のミュージシャンの楽曲を使うのは好きじゃなかったんです。だけど、この台本を読んだら、自然とある曲が頭の中で流れていた。自分の主義には反するけど、最後にかけるのはこの曲しかないって思ったんです」
エンディングを締め括るのは、Dreams Come Trueの『何度でも』。珠玉の応援歌こそ、自分たちのテーマソング。『駱駝の溜息』は、演劇とは何かもわからない中、自分たちの好きなことを自分たちなりにやりきろうとしていた彼らの3年間そのものだった。
不器用な言葉の中に秘められた、演劇への愛と感謝。
だからこそ、台詞のひとつひとつにも気を配った。本作の最大の見せ場は、終盤、部室に備えつけたカメラに向かって部員たちが心情を吐露する場面だ。汗臭いスポ根ドラマとは一線を画す、どこか気の抜けた台詞の数々が切実なリアリティを醸し出し、観る者の胸を打った。山口は台本を書き起こしながら、本人ならどんなことを言うだろうとイメージを膨らませた。
「実際に書いたものを読んでもらって、自分ならこういうことは言わないというところはどんどん削っていきました」
自分たちは周りから見れば「底辺」かもしれない。バカにされているのもわかっている。だけど、演劇が好きだ、演劇に誇りを持っている、みんなにも演劇をやってほしいと朴訥に訴える部長の姿に、同世代の部員たちは心動かされた。1年の角野もそのひとりだ。
「“台本の力”ってあると思うんです。最初に読んだ時はまだ演劇部のことが全然わからなくて、“演劇部あるある”とか正直に言って何が面白いかわからなかった(笑)。でも最後の台詞を読んで、絶対にこの台本なら全国に行けるって確信したんです」
角野の確信は的中する。文化祭の大失敗を経て、部員たちの表情は一変した。もともと大の練習嫌い。部室に集まっても練習するより、みんなでお喋りする方が楽しいという面々が、真剣に練習に打ちこむようになった。その顔には、「もう絶対に失敗したくない」という危機感があった。地区大会まで残りわずか。もうすぐその幕が上がろうとしていた。
快挙に沸いた地区大会。怒濤の快進撃の幕開け。
「毎回、緊張しすぎて、本番のことは何も覚えていないんです」
待望の新入部員である田村役を演じた1年の西村は、地区大会の想い出をそう振り返る。これまで地区敗退が続いていた精華高校の目標は、府大会に出場すること。地区大会は、そのために乗り越えなければならない最大の壁だった。経験の浅い西村は、緊張のあまり本番で何度も台詞を噛んだ。頭が真っ白で、役名さえも満足に言えなかったという。山口や黒崎は、後輩のミスをフォローしながら芝居を引っ張った。「ある程度、達成感はあった」と黒崎が笑みを浮かべれば、「集中してやれた」と山口も頷く。客席からは笑いも起きた。感想には「共感した」という称賛が並んだ。10日前の文化祭の悪夢から一転、練習してきた成果を大一番で発揮した。
「とは言え、講評は怖かったです。正直、府大会に上がれるとは思っていなかった。だから、審査員から名前を呼ばれた時は信じられなくて、めちゃくちゃ嬉しかったです」
初の最優秀賞。初の府大会進出。快挙達成に部員は号泣した。光永は全国までの道のりを振り返ってなお「地区大会が一番達成感があった」と追想する。どうしても打ち破れなかった壁を、創部4年目、ついに自分たちの手で突破した。
一方で、初めて踏む府大会のホール。これまでにない客席数を擁する会場で自分たちの演技は通用するのか。黒崎はひそかに不安をよぎらせていた。
掴んだ全国の切符。実績ゼロの無名校は、一躍、大会の主役へ。
初の府大会に向けて各自が準備に追われた。のしかかるプレッシャーを払いのけるように、何度も通し稽古を重ねた。本番前日は、会場付近のカラオケボックスで通しを行った。最後に後悔のない舞台を。その決意を胸に、本番に臨んだ。
「自分の中では府大会がベスト。楽屋では緊張してすごく落ち込んでいたんです。でも、舞台に上がったら不思議とすごく自由にやれた。恐怖心はあったけど、それが全然重荷にならなかった」
山口は、初めて立った府大会の興奮を訥々とした口調でそう思い起こす。やれるだけのことはやった。演出としても冷静だった。リハの時、舞台上から審査員席を確認した。クライマックスの長台詞は、みんなあの審査員席に向かって喋り続けろ。そう指示を出した。自分たちの想いが少しでも届くように。つまらない小細工はせず、真っ向勝負で挑んだ1時間だった。
結果は、部員たちの予想を超えた。「これが最後」という一同の予想を覆し、精華高校は最優秀賞を獲得、近畿大会へ進出した。「府大会出場が決まった時も泣かなかった」と語る井上も、憧れのよみうり文化ホールの講評で自分たちの名前が呼ばれた瞬間、一気に涙がこぼれてきた。
夢の近畿大会に向けて、部員たちの気持ちは昂ぶらずにはいられなかった。もっと面白くしよう。もっと笑いをとろう。そう言って台本を手直しし、小ネタを挟みこむ。結果は、優秀賞。これにより年明け1月の春秋座の上演、さらに3月の春季全国大会の出場が決まった。学内の誰からも見向きもされなかった演劇部が起こした逆転のシナリオに、これ以上ない千秋楽の舞台が用意された。部員ゼロの時代から部を引っ張り続けた小松教諭は、嬉しさのあまり男泣きに暮れた。
「ただ、この頃から少しずつ歯車が狂いはじめていたんでしょうね」
そう小松教諭は述懐する。予兆はあった。本番中、音響の谷山が寝ていたのだと言う。「正直、ちょっと見飽きていた」と谷山は口にする。
「それくらい面白くなくなっていたんでしょうね」
小松教諭は冷静に当時を思い返す。狂騒の中で、少しずつ綻びはじめる何か。ハッピーエンドの切符を手にした『駱駝の溜息』は、人知れず空中分解の時を迎えようとしていた。
>> 後編へ続く