学校法人追手門学院 追手門学院高校

それでも伝えたかったこと。【前編】

長年にわたって大阪府の高校演劇をリードしてきた名門・追手門学院高校。府大会24年連続出場、近畿大会9年連続出場。全国への出場経験も持つ強豪校だが、近年、その名声は失われつつある。審査員との評価のギャップ。4年連続、地区敗退に終わったこともあった。それでも変わらずに訴え続けてきたことは、追手門らしい温かな人と人とのつながりだった。伝統の重みにもがき、表現者としての壁に何度もぶち当たりながら、2年ぶりに府大会進出を果たした古豪の葛藤の日々に迫る。

(Text&Photo by Yoshiaki Yokogawa)

創部以来、初の無冠。失われた名門の輝き。

otemon-tanizawa審査員の講評を、釈然としない面持ちで聞いていた。1年前、2011年の地区大会のことだ。
同年3月に発生した東日本大震災は、感受性豊かな高校生の心に深い影を落とした。10代半ば、阪神淡路大震災を知らない世代である彼らにとって、画面の向こうに映し出される惨状は、文字通りの未曽有の大災害だった。今、胸にある想いを、演劇を通して表現したい。彼らは東北の人々を主人公に据え、震災後、傷を負いながら被災者がどう生きるかを真っ向から描き切った。が、結果は地区敗退。それどころか、各賞の受賞にも届かなかった。追手門学院高校は、創部以来、初の無冠に終わった。

「正直に言えば、心のどこかに余裕があった」

同地区には府大会進出の切符は2枚あった。そのどちらかは掴めるはず。当時1年だった藤本は自身の心にあった甘さをそう見つめ直す。

「作品の出来にも自信はありました。みんなで一生懸命話し合ってつくった舞台。それが評価してもらえなかったことが何よりも悔しかったですね」

同じく当時1年の今村はそう唇を噛みしめる。自分たちの伝えたかったことは何も認めてもらえなかった。歓喜に沸く最優秀校を横目に、彼らは失意の底に沈みこんだ。

伝統校の重圧。埋められない審査員との評価の溝。

無念の敗退から半年後、新入生を迎え、演劇部の面々は迫りくる大会に向けて、準備を進めていた。追手門学院高校は、府下でも強豪と知られる高校のひとつだ。顧問の阪本教諭の卓抜した指導力は、同校の演劇部のみならず、府全体の質的向上にも多大な貢献をもたらしたと評価されている。当然、そこに籍を置く部員たちのプレッシャーは、他校とは異なるものがある。

「普段はなるべく考えないようにはしてますけど、やっぱりプレッシャーはありますね」

唯一の3年として部を牽引した演出の谷澤はそう打ち明ける。もともと谷澤が入部した当初は同期が7人いた。しかし、演劇は自分の内面と向き合う過酷な芸術だ。公演を重ねるごとに、ひとり、またひとりと退部する者が相次いだ。結局、最終学年に進級する頃には、同学年は誰もいない。谷澤はたったひとりで連綿と続く伝統校の実績を背負わなければならなくなった。
otemon-2nen一方、地区惨敗から半年、心のうちで決して解けぬわだかまりを抱えている者もいた。谷澤と共に脚本を手がけた2年の今村だ。今村は高校演劇に対する審査員の評価と、自分たちが表現したいものに、埋められない溝があることを感じていた。

「震災ひとつとっても、高校生がそんなテーマを扱うなって視線をどこかで感じるんです。評価されるのは、高校生らしい明るい芝居。でも、僕たちだって、今の社会に対して訴えたいことがある。その差に、ずっと悩んでいました」

もう一度、震災を描きたい。部員たちに困惑と不安が入り乱れる。

2012年4月、部内でミーティングが行われた。追手門学院高校では、脚本については全員で話し合って内容を決める。大会に向けて、自分たちは何を表現したいか。意見を重ねる中で、やはり出てきたのは、震災というテーマだった。2年の藤本は、その結論に困惑を隠せなかった。

「最初の率直な感想は、“また震災?”でした。去年やってみて、高校生が重い芝居をやっても受けないのかなという感触があっただけに、本当にこれでいいのか悩みました」

同じく2年の夏見も不安に揺れた。

「去年も震災を題材にして、府大会に行けなかった。それなのに、今年も震災。そんなに簡単に扱える内容ではないし、大丈夫なのかなっていう心配はありました」

otemon-1nendanshi大会初参加となる1年もそれぞれに社会性の高いテーマに戸惑いを感じていた。ソウ役を務めた只野が「最初に読んだ時は、えげついな(※ひどい)と思った」と述べれば、アツシ役の宮本も「軽はずみにはできない」とためらいを口にする。タクミを演じた玉谷は震災そのものが「画面の中でしか知らない世界。実感が湧きにくかった」と言う。ユウ役の岡留も「発生当初はすごいことが起きたという気持ちはあったけど、どんどん風化してしまっているところが自分にもあった」と、決して当事者にはなり得ない自分たちと被災者の間に横たわる温度差を実感していた。
昨年、まさかの惨敗に涙を呑んだからこそ、今年は絶対に失敗できない。本当にこのテーマでいいのか。府大会への執着が、部員たちの心に迷いを生んでいた。

何も知らない自分たちだからこそ伝えられるものがある。

otemon-1nenjoshiそれは、作者である谷澤と今村も同様だった。

「高校演劇という枠にとらわれたくないと反発する一方で、自分たちのホンでちゃんと被災者の現実を伝えられているか自信はありませんでした」

こんなことを書いて失礼にあたるんじゃないか。不安は、何度も今村の手を止めた。けれど、それでも伝えたいという気持ちを抑えることはできなかった。

「僕らはテレビや新聞を通してしか震災を知らない。でも知らなくたって、できることはきっとある。それが伝わればと思いました」

今村の決意に、谷澤も頷いて応える。

「大阪という安全な場所にいる自分たちが、震災のことを書いていいのか。その迷いはずっとありました。むしろ前作はその迷いがホンの中にも残っていた。前の大会では、それを見透かされたような気がしたんです。だったら、自分なりの答えが出るまで書いてみよう。そう思って、もう一度震災をテーマに書くことを決めました」

震災を知らない自分たちだからこそ、伝えられることがある。未熟だと貶められても、不謹慎だと咎められても、想いを貫く覚悟を決めた。再起をかけた古豪のリベンジが始まった。

 

 

>> 後編へ続く

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