大阪府立東住吉高校
コンプレックスだらけの僕たちは。【前編】
2014年秋、東住吉高校は2年ぶりに府大会へのカムバックを果たした。悲願を達成した彼らの歩みがどれだけ華々しいものだったのかと言うと、むしろその逆。主力となった2年生たちは「コンプレックスばかりだった」と打ち明ける。そのほとんどがスネに傷を持つ“コミュ障”たち。自信なんてまるでなかった。辛くて厳しい練習に、何度も逃げ出したくなった。それでも、最後までくじけず立ち向かい続けた彼らの横顔は、確実に入部当初よりもたくましく成長した。どんな困難にも“それでも”の精神で挑んだ2年生6人の1年間を追った。
(Text&Photo by Yoshiaki Yokogawa)
人生最大の挫折。みんなで泣いた1年前の夜。
当時1年だった榊はそう振り返る。1年前の地区大会。自分たちにとっては初めてのコンクールだ。大好きな先輩とつくった、大好きな舞台。お客様の心に届いた手応えも確かにあった。けれど、結果は地区敗退。あれだけ願い続けた府大会の舞台に自分たちは上がることができなかった。結果発表の夜、2年生も1年生もOBOGも、みんなで延々と泣き続けた。木佐は言う。
「そこからもう一度、自主公演で同じ作品をやって、いろんな人に良かったって言ってもらえるものができた。審査員の先生に届くものではなかったのかもしれないけれど、自分たちのやってきたことは間違いじゃなかった。そう思えたことが、次へ進む原動力になりました」
審査のために芝居をするわけではない。そんなことはじゅうぶんわかっている。だけど、たくさんの人に観てもらえる舞台に上がるためには、審査で選ばれなければいけない。演劇に勝ち負けをつけるジレンマにぶちあたりながら、彼らはそれぞれのやり方で1年目のコンクールに区切りをつけようとしていた。
“黒歴史”の幕開け。バラバラになった6人の絆。
そして、冬、先輩たちが一線を退き、自分たちへと代が移った。練習メニューの見直しに、新入生歓迎公演の準備。やらなければいけないことは山積みだった。新しく部長となった高垣はわからないことだらけの毎日に「髪が傷みすぎて、枝毛じゃない髪がないくらいだった」と笑う。一方、中村も「毎日泣いてた。だけど、辞めたくても人数がいないから辞められなかった」と当時を思い返す。
決してメンタルが強いメンバーたちではない。表情がなくて、みんなから“能面”と笑われていた榊。しっかり者のように見えて、抜けているところだらけでよく叱られた高垣。キツいダメ出しを受けるたびに泣いてばかりいた中村。口が達者で外交的に見えて、本当は人から拒否されることを人一倍恐れる木佐。内にこもりすぎる性格で部員と対立し、孤立することもあった比嘉。唯一休部期間があり、どこか同期との距離があった高見。一癖も二癖もある顔ぶれだ。
「この頃が人生でいちばん辛い時期。思い出すのが辛すぎて、ちょっとシュレッダーかけてる感じ」と苦笑いを浮かべた比嘉は、新歓本番直前、退部を宣言した。榊も「ここでやっている意味がない」とそれに続いた。コンクールを目指して、など言える状況ではなかった。代替わりから3ヶ月強、新体制で迎えたヒガスミ演劇部は早くも崩壊寸前の危機を迎えていた。
初めての後輩。守る者ができて、強くなれた。
そんな“コミュ障”の6人に転機が訪れた。冬が過ぎ、春を迎え、18人の新入生が入部したのだ。2年生は6人。3倍もの人数の後輩を自分たちが育てていかなければいけなかった。だが、その責任感は、彼らに強さを与えた。初めて芽生えた後輩への愛情に、比嘉も榊も部活への意欲を取り戻した。自分たちがこの子たちを支えていかなきゃいけない。上級生の自覚は、“コミュ障”だった6人を一段上のステージへと引き上げた。
とは言え、決していいことばかりではない。新たな仲間の加入は、また別の思惑を生んだ。1年生はみな積極的で元気がいい。初舞台とは思えないほど能力の高い者が何人もいた。このままだと自分たちはあっという間に追いぬかされるんじゃないか。そんな不安が、奥底からむくりと顔を出した。
もともとコンプレックスの塊だった。コーチを務めるOBOGからも「可愛がってもらえていないのかな」と半信半疑だった。比嘉は「ずっと上や下の代と比べられているしんどさがあった」と告白する。
「だからこそ、この代を良くしていかなあかんって思って、いろいろやってみても全然上手くいかなくて。3年生や1年生が輝いて見えた分、自分たちがくすんで見えていた」
そんな劣等感を救ってくれたのが、上級生の言葉だった。新人公演で演出を務めた高見は、ゲネの終わり、3年の前田に「1年に抜かされそう」と弱音をこぼした。
「そしたら先輩が“オレらが育てた代やねんから絶対大丈夫”って言ってくれて。その言葉が、すごく力になりました」
後輩を育てる喜び。後輩に負けたくない焦り。そのひとつひとつを力に変え、“コミュ障”だった彼らは自分の弱さを返上し、自分たちなりのスピードで前に進みはじめていた。
打ち砕かれた創作台本への夢。禁じ手だったOB台本という選択。
だが、そこで易々と上昇気流に乗れるほど甘くないのが人生だ。コンプレックスだらけの2年生は、夏、最大のコンプレックスに直面する。台本が書けなかったのだ。
ここ数年、東住吉高校演劇部ではコンクールは生徒による創作台本で臨んでいた。それぞれの代の個性を活かした作品を見ながら、2年生たちも自分たちのオリジナル作品を発表することを夢見ていた。投票の結果、台本を書くことになったのは比嘉だ。文化祭の練習を抜け、ひたすら書き続けた。しかし、何度も何度も改稿を加えた脚本は、結局、秋になっても完成を見ることがなかった。約束の期日の朝、比嘉は全員の前で頭を下げた。その姿に、中村は「(自分たちの代は)どこまで落ちぶれんねん」と自己嫌悪の言葉を漏らした。
自分たちが1年半やってきたことは何だったのか。それぞれの代の色が出ると言われる創作台本。それさえつくれなかったことに、榊も「自分らの色ってほんまにないねんなって」と肩を落とした。自分たちのために書かれた、自分たちのためだけの台本。それをコンクールの場で演じる夢は、ひっそりとここで断たれた。
だが、それでもここで終わるわけにはいかない。去年の悔しさを晴らすためにも絶対にコンクールに出場したい。失意の中、榊が代替案として持ち出してきたのが、以前、OBのコーチが練習用に書いた台本だった。タイトルは『星の死ぬ日~地球最後のテロリスト~』。
大人の書いた台本をやることに抵抗がなかったと言えば嘘になる。「もやっと感はあった」と高垣もためらいをあらわにする。それでも、今から新作を書く気力も、既成台本を選ぶ時間もなかった。満場一致とは決して言えない、苦しまぎれの緊急避難。ヒガスミ演劇部のコンクールへの道のりは、そんな苦肉の策から始まった。
動き出したコンクール。こだわりぬいた“小さな幸せ”。
『星の死ぬ日~地球最後のテロリスト~』は巨大隕石衝突を数時間後に控えた地球最後の1日を描いた群像劇だ。権力の転覆を図るテロリストと、家出をした娘を探す家族、そして最後まで仕事に懸けようとするアナウンサーとそれに反目するカメラマンという、3つのストーリーが交差しながらひとつの結末へと収束していく。いわゆる高校生モノには程遠い。これを本当に自分たちが演じて評価されるのか定かではなかった。だが、もう迷っている暇はない。とにかく今は前に向かって進むだけだ。台本が書けないという“どん底”を味わった彼らには、ある種の潔さが備わったかのように見えた。
地区大会に向けて最も苦心したのが、ラストシーンだった。それぞれのエピローグを織り交ぜながら、運命に抗うようなモノローグで綴る最後の場面をどう演出するか。演出を担当することになった榊は頭を悩ませた。
こだわったのは、“小さな幸せ”だった。地球が滅びるというこの上ない大きな出来事の中で、ひとりひとりが“小さな幸せ”を見つけていく。その姿を通して、観客に“小さな幸せ”を届けたい。そう考えた榊は、その象徴として最後に舞台上でみんなが手をつなぐアイデアを閃いた。あとはそこにいろんな人の意見を組み合わせていく作業を繰り返した。
「とにかく言われたものは全部試してみました。僕は人のアイデアをやりもしないで却下できるほどの才能の持ち主じゃない。だから、わからないって悩むより、言われたものは全部ひとつの案として受け入れて、やりながらダメかどうか考える方がいいかなって」
その柔軟さが、榊の最大の持ち味だ。だが、それも最初から身につけていたわけではない。
「昔の自分なら、人に何か言われても、自分がこうしたいっていうのがあって、なかなか腑に落ちなかった。でも演出をやったおかげで、自分自身の心が広くなった。いろんな可能性があることに気づけたり、人のアドバイスを素直にありがたいなって思えるようになったんです」
フォーメーションを何度も入れ替えたり、バックに映像を投射したり、上から紙片を降らしたり。毎日のように実験を繰り返しながら、少しずつ完成形が見えてきた。それでも、最後まで悩みぬいたのが、ラストの群唱だった。
ありったけの想いをぶつけろ。全員で叫ぶ異色のラストシーン。
最後のモノローグは、本番直前まで整然と全員で読み上げるだけだった。しかし、どこか心に残らない。そう指摘され、今の自分たちに何が足りないのか。1年生も含めて、意見を出し合った。世界の終わりをイメージしきれていない。台本の展開に役者の気持ちが追いついていない。役者と裏方のまとまりがない。次々と課題が出てきた。そんな中、OGのコーチがこう提案した。いっそもっとがむしゃらに叫んでみてはどうか――
地球最後の日の恐怖なんて、どこまでいっても想像でしかない。だけど、地区大会を最後の1日にしたくないという気持ちなら、みんながわかる。まだここで終わりにしたくない。このままみんなで芝居をしていたい。自分たちの素の想いをモノローグにこめて叫んでみたら、何かが変わるんじゃないか。コーチの提案に、榊は本番まで残り4日の土壇場でプランを変えた。練習時間はもうわずか。感情に任せて力いっぱい叫べばその分、声が揃わないリスクがあった。それでも、榊は敢えて困難な道を選んだ。
役者たちは何度も何度も練習をした。たとえ不揃いになっても、とにかく持てる力のすべてを最後の群唱にぶつける。1ヶ月に及ぶ練習の中で、喉も疲弊しつつあった。数回練習すれば、たちまち声が嗄れてしまう者もいた。だけど、手を抜くわけにはいかなかった。
全員で心をひとつにする。1年のすべてをかける日がやってきた。
そんな役者たちの必死な姿を、誰よりも近くで重ね合わせている者がいた。2年の高見だった。高見は同級生の中で唯一、裏方である照明を希望した。彼女は卒業したら、照明の道に進みたいと言う。この大会は、今の自分の持てるものをすべて出し切る最大のチャンスだった。
日ごとに変わる演出に、とにかく精一杯ついていった。やっとある場面の明かりをつくったら、次の日には役者の動きが変わっている。またイチからやり直し。そんなことの繰り返しだった。それでも高見は後輩を引っぱりながら、観客には気づかれないような職人気質の小さなこだわりを随所に忍ばせ、舞台を彩った。
一方、休部期間の多かった高見は、どこか同級生にも一線を引いているふうにも見えた。練習中も部署が違うため、同期とはほどんど話すこともなかったと言う。だが、本番前日、高見はこう明かした。
「実は、最後の全員の台詞はブースの中で小声で言ってます(笑)」
190字に及ぶ長いモノローグ。それを暗誦しながらオペレーションをする。たとえ舞台に立っていなくても、同じ舞台をつくる仲間のひとりとして、役者の演技に心を寄り添わせる。それが、高見なりの演劇への向き合い方、そして仲間への友情の示し方だった。高見だけではない。音響も、装置も気持ちは同じだ。もしも役者たちの演技に実力以上のパワーがあったとしたなら、それはきっと舞台に立つことはない他の仲間たちの魂が宿っていたからに違いない。
舞台に立つ者も、立たない者も、みんなが心をひとつにしてつくり上げた渾身のクライマックスだった。
地区大会当日。早朝、近所の公園に全員が揃った。午前7時、始まったのは東住吉高校オリジナルのヒガスミ体操。これも、代々の先輩から受け継ぐ大会本番前の伝統儀式だ。部員一同、輪になって体をほぐす。そこにはもう緊張も焦りもない。やるべきことはすべてやった。あとは、全力で楽しむだけ。苦しかったこの1年のすべてをぶつける時が、やってきた。
>> 後編へ続く