愛知県立刈谷東高校
特殊だけど、特別じゃない。【後編】
春夏全国出場校の中で唯一、定時制の高校である刈谷東高校。約6割が不登校児という特殊な環境のもと、部員たちは自分の弱さと向き合いながら一歩ずつ成長していく。その姿は、定時制も全日制も関係ない。今を生きる高校生たちのリアルだった。
(Text&Photo by Yoshiaki Yokogawa)
突然の退部。混乱で迎えた県大会。
兵藤教諭は言っていた。
「この子たちは重圧に耐えきれなくなると、すぐ辞めるんです」
その予言は的中した。プロデューサー役の生徒が、地区大会直後からパタリと練習に来なくなった。そして、そのまま部を去った。地区から県大会までは2週間程度の時間しかない。その中で、まさかのキャスト変更。すでに部を退いた3年の先輩が急遽代役に立てられた。まずはすべて台詞を頭の中に叩きこむところからスタートし、動きをつけていく。一人でも役者が変われば、周りの演技も変化する。県大会までの2週間は、芝居の精度を高めるどころか、全体をまとめるだけで手いっぱいだった。
襲いかかる緊張。犯した本番での重大ミス。
さらに、県大会の本番でも後悔の涙を流した者がいた。ゲロ子を演じた2年の村山だ。村山もまた不登校を経験した者のひとり。「人に強く何かを言うのは苦手」と自らの性格を分析する彼女は、周囲から「グズ」と罵られる役柄に共感する部分も多いと言う。
ゲロ子は、もともとはたま子という名の少し気の弱いアシスタントディレクターだった。しかし、番組のテコ入れのためにとられた奇策により、たま子はでっちあげの都市伝説である「ゲロ子」に扮して、街を徘徊することを押しつけられる。ゲロ子の都市伝説は瞬く間に広がり、徐々にその噂は恐怖じみたものへ変化していく。噂に呑みこまれたラジオ局の面々は、やがてゲロ子が自分たちのもとへ復讐にやってくるという恐怖に苛まされる。そんな中、ゲロ子の扮装をしたたま子が再びラジオ局へ現れる場面が、本作のクライマックスだ。
持ち前の内気な性格が、大舞台の緊張に呑まれたのかもしれない。村山は、本番の舞台で手に持っていた紙袋を落としてしまう。そこには、本作のラストを左右する重要な小道具が入っていた。それが、種明かしの前に観客に見えてしまった。あってはならない重大なネタバレ。「とにかく必死だった」と村山は話す。取り返しのつかない失敗に胸の内は激しく混乱しながらも、何とか最後まで芝居をやり遂げた。幕が下りた瞬間に沸いてきたのは、激しい後悔と自己嫌悪だった。
涙の県代表選出。そして、再び部員がいなくなった。
2年の加藤も「これはダメかもしれない」と覚悟した。本番中のことはよく覚えていない。ただ、ハンカチを目元に当てながら泣いている観客の姿が、朦朧とした意識の中でぼんやり残っていた。想いは、伝えられた。ただ、ミスはあった。それがどう評価されるのか。不安と期待の入り混じる中、講評の時を待った。
結果は、中部大会出場。2年ぶりに愛知県代表の座に返り咲いた。村山は自分たちの名前が呼ばれた瞬間、涙が溢れ出た。
「県大会は会場も大きくて、地区以上に緊張した。幕が上がる直前もガチガチなのが自分でもよくわかるくらいでした。その中で、失敗をしてしまったことが本当に悔しくて。だから、中部に行けると決まった時は、安心と嬉しさで涙が止まりませんでした」
だが、喜びの後には、またも逆境が待っていた。プロデューサー役の3年が退部し、三たびキャスティング変更を余儀なくされることになったのだ。選ばれたのは、1年の新井。演劇初心者の彼にとって、合間にいくつかの公演を挟むものの、いきなりの大会デビューが中部という大舞台になった。
「最初に役を任された時は、驚きしかありませんでした。どうあがいても、みんなの方が経験は上。だから何とか追いつかなくちゃ、一緒に頑張らなきゃと思って、ただただテンパッていました」
演じ切れないラストシーン。消えた自信と笑顔。
県代表に推薦されたものの、舞台そのものの出来は決して会心とは呼べなかった。それぞれがまだ納得のいく演技まで辿り着けていない。2年の村山は、ゲロ子のラストシーンをどう表現すればいいのか、どうしても掴みきれなかった。
「ゲロ子を演じる時は、カエルの被り物をします。だから、表情は見えない。その中でゲロ子は何を想って、スタジオにやってきたのか。復讐なのか、それとも別の何かか。背中や動きだけで、見る人にどう表せばいいのかが、今もまだ答えが見つけられていないんです」
そんな村山に、兵藤教諭は「フラットに演じろ」とアドバイスする。
「顔が見えない分、お客様が勝手に想像をして、好きなように色をつけてくれる。だから、役者はできるだけニュートラルに演じた方がいい。村山の演技はまだそこに自分の思惑が入りすぎていて、比重が偏っている。だから、スタジオに入ってきた時に、もう村山の意図が見えてしまう。そうじゃなくて、とにかくフラットに演じることで、最後までお客様に想像させる余地を残すんです」
山場であるはずのクライマックスが、自分の演技のせいで完成しない。そのプレッシャーは、次第に村山の重圧となっていった。そして、中部大会を間近に控えた12月、村山は突然部室に来なくなった。
必要とされている喜びを知る。届いた友からの激励メール。
「予兆はあったんです。普段は遅刻なんてしないのに学校にも遅れてくるようになって。少し変だなという気がして、心配はしていました」
2年の鈴木は当時の村山の様子をそう思い返す。その小さな心に背負い込んでいた荷物がついに抱えきれなくなってしまったのだろうか。村山は部活だけでなく学校も休み、部屋の中に閉じこもってしまった。部員の間で動揺が広がる。中部大会まであと3週間。ここに来て、ゲロ子というキーパーソンを別の人間が演じることは考えられなかった。どうすればもう一度、村山は部活に来られるようになるのか。同学年の加藤と鈴木は一生懸命考えた結果、いつも村山と一緒にいた1年の竹内に、みんなの想いをこめたメールを送ってもらうことにした。不安と自己嫌悪に苛む友への精一杯のエールだった。
「私はもともと人に自分の悩みを打ち明けるのが苦手なんです。今回も、どう演技をすればいいのかわからなくて、自分を責めすぎるうちに苦しくなってしまった。そんな時、竹内さんからもらったメールを読んで、すごく救われた気持ちになりました」
村山が受け取ったメールには、不器用だけど温かい友からの励ましの言葉があった。
――あなたがいなくちゃ困る。
――あなたのことが必要です。
自分がここにいる意味があるのか。村山は小さな頃からそんな悩みを抱えてきた。居場所を見つけられずに彷徨っていた彼女にとって、それは自分の存在価値を認めてもらえた瞬間だった。
「みんなが自分のことを必要としてくれる。そのことが、ただ嬉しかった。もう一度頑張ろうって、そう思えたんです」
自分の弱さのせいで、周りに迷惑をかけてしまった。その責任はもちろんある。だけど、それ以上にまたみんなと一緒に芝居がしたいという気持ちが大きかった。迷いを吹っ切った表情で再び部室に帰ってきた村山を見て、加藤も胸を撫で下ろした。
「すごくスッキリした表情をしていて。やれるな、と直感しました」
それは人から見れば、ひょいとまたぎ越せるような小さな石ころかもしれない。だけど、中にはそんな小さな石ころにつまずき、倒れる者もいる。彼女たちは何度も転び、傷つき、立ち上がり、そして今日までやってきた。その道のりの中で、少しずつ強さを身につけてきた。それは、一般的な物差しで測れば、強さとも呼べないようなものかもしれない。彼女たちはまだ脆く危うい薄氷の上に立っているだけなのかもしれない。だが、自分の足で立っている。それだけでいい。それがすべてなのだ。
掴み取った夢舞台の先に。いまだ未完成のクライマックス。
全員で臨んだ中部大会。中部6県から強豪が集う中、たったひとつの定時制高校は中部日本高校演劇連盟賞を受賞した。それは、誰もが憧れる春の全国への出場権を意味する。
「すごく緊張したけど、楽しめた」
1年の新井は初めての大舞台の手ごたえをそうかみしめる。一方、2年生たちは自分たちのなし遂げた快挙に対する実感がなかなかなかった。
「はじめのうちは全然ピンと来なかった。次の会場がどんなところか、ネットで調べているうちに、ここでやるんだって実感が少しずつ沸いてきました」
2年の加藤がそう頬を紅潮させる。社会の中で居場所を失った子どもたちは、自分たちの手で大舞台への切符を掴み取ったのだ。
春の全国まで残り1ヶ月。部室からは、廊下にいてもよくわかるような大声が響き渡っている。まだまだ課題は山積みだ。2年の加藤は自らの演技を「まだ完成形には至っていない」と厳しく採点する。クライマックスで、自身が演じるディレクターは膨大な長台詞で、1年の加藤が扮するアシスタントディレクターを追いつめていく。その気迫をまだ表現しきれていない。部の中ではしっかり者の役割を果たす加藤だが、彼女もまた不登校に悩んだ過去を持つ。
「これまでずっと部活は美術部だったんです。美術部は全部がひとりの責任。良くも悪くも自分がひとりで何とかしていれば良かった。でも、演劇は違う。ひとりでも欠けたら全体が変わってしまう。誰かと一緒に何かをつくる難しさや面白さ、ひとはみんな替えのきかない大切なものなんだっていうことを、私は演劇を通じて学びました」
一方、顧問の兵藤教諭は快挙を達成した教え子を前にしても、決して相好を崩すことはない。最初に短くつぶやいた「不愉快ですよ」という言葉の真意はどこにあるのか。最後に聞いてみた。
「まだまだ見ていられる芝居じゃない。全国を逃した中には、もっと厳しく練習をしている子たちがいっぱいいる。あの子たちにはまだ全国の舞台に立つ資格はありません」
演劇部での日々の先にあるもの。やがて子どもたちは大人になる。
兵藤教諭は、続けた。
「本当は、こうやって教師が作・演出をするんじゃなくて、もっと生徒たちがやった方がいい」
それは、長年、高校演劇の世界に身を置いたベテラン顧問のジレンマであり、現状の高校演劇に対する警鐘のようにも聞こえた。「それでもついいいものがつくりたくなって頑張ってしまうんですけど」と苦笑いする。感情の見えにくい目に、初めて温かな光が揺れた。
兵藤教諭は2003年の着任以来、この学校で子どもたちの成長を見てきた。演劇部に対する想いは、言葉以上に深く、そして熱い。取材を終えて帰ろうとすると、「どうでしたか、うちの子たちは」と感想を尋ねられた。それは厳格な父親がふいに覗かせた親心のようにも見えた。
「定時制の高校で全国まで行けるところはなかなかない。あの子たちにスポットライトが当たることで、もっと定時制のことを知ってもらいたいし、同じような境遇の子どもたちにとっても力になればいい」
最後に兵藤教諭はそう希望をこめた。そこにはもう最初の気難しそうな面影はなかった。
確かにここには多くの不登校児が通学している。彼らは一般的な言い方にのっとれば、世の中のレールから“はみ出してしまった”人間だ。全日制の高校では通じるルールが、ここでは通用しないこともあるのかもしれない。それでも、思う。彼ら彼女らは確かに特殊かもしれない。けれど、決して特別なことはない。みんな、生きづらさを抱えて、それでも今を生きている。特に貴重な青春時代に演劇を選ぼうとする子どもたちなら尚更だ。
刈谷東の部員たちは、確かに自分に弱すぎるとこはあるかもしれない。世間を渡り歩くには心が優しすぎるのかもしれない。けれど、それも含めて、何も変わらないと敢えて言いたい。
この小さな部室で、傷つき、迷い、悩み、時には逃げ、そしてまた這い上がる。そうやって子どもたちは大人になっていく。高校演劇で、人生は終わらない。部員たちはみないつかこの小さな岸辺から舟を出し、人生の海を自らのオールで切り開いていかなければいけない。それは、どの学校の生徒たちも同じはずだ。今はただようやく見つけた心落ち着く場所で、一心に演劇と向き合い続けている。その真剣な横顔もまた何も変わらない。特殊だけど、特別じゃない生徒たちの最後の舞台が、もうすぐ岩手で幕を開ける。
※文中に表記されている学年は、大会上演時のものです。
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