大阪府立淀川工科高校

僕たちだけの協奏曲。【前編】

なぜ高校生は貴重な青春の日々を演劇に捧げるのか。将来、演劇だけで食べていけるほど甘い道では決してない。部活三昧の毎日は、家族や友達との時間さえ奪ってしまう。それでも、なぜ演劇をするのか。その答えはあくまで人それぞれだろう。だけど、その答えのひとつを見たような気がした。高校演劇としては異色の男子中心の演劇部・淀川工科高校は創部3年目にして近畿大会出場の悲願を達成した。しかし、本当に重要なのはその輝かしい栄誉ではない。彼らはその歩みの中でトロフィーよりも大事なものを手に入れたのだから。

(Text&Photo by Yoshiaki Yokogawa)

演劇部をつくりたいと思います。その一言から、すべてが始まった。

淀川工科高校22それは、今から2年半ほど前。当時まだ1年だった大城戸は、手に職をつけることを目的に淀川工科高校に入学した。中学時代は陸上部。同じことの繰り返しの毎日に物足りなさを感じていた。そんな時、何気なく見たテレビドラマをきっかけに、演じることに興味を持った。

「高校に入ったら演劇をやってみたい」

夢や情熱と名づけるには、まだあまりにも不確かな憧れが胸に芽生えた瞬間だった。

けれど、桜咲く始まりの季節、門をくぐった淀川工科高校に演劇部はなかった。大城戸は小さく肩を落としたが、それでも落胆や失望というほど強いショックを受けたわけでもなかった。どこか別の場所で演劇ができればいいな。そう気楽に構えていた。あくまでその程度の気持ちしかなかったのだ、まだその頃は。

しかし、ひとりの男との出会いが、大城戸の、そしてこれから入ってくるたくさんの部員たちの人生を変えた。入学式の後日、行われた着任式。そこで登壇したのが、萩原教諭だった。先生というよりも、どこか近所の兄貴分に近い雰囲気をたたえた新任教師は、朝礼台に上がり、こう宣言した。

「演劇部をつくりたいと思います」

その一言から、すべてが始まった。男子ばかりの工業高校に生まれた演劇同好会。そう、はじめは部としても認められていなかった。集まった部員は、大城戸を含めて10名程度。伝統も技術も何もない。あったのは、演劇に対する純粋な好奇心だけ。3年にわたる壮大な協奏曲の第一楽章が静かに幕を開けた。

忘れられない初舞台。積み上げてきた淀演の歴史。

「今でも初めてサスを浴びた時の気持ちは忘れられないんです。違うなって、普段の自分たちが生きている世界とまったく違う世界が、舞台の上にはあるんだって知りました」

淀川工科高校3大城戸の瞼の裏には、初舞台で浴びた明かりの眩しさが、今も鮮烈に焼きついている。1年生の夏、大阪高校演劇の夏の祭典・HPFに参加。旗揚げ公演を行った。秋には大会にも出場した。結果は、地区敗退。自分たちのやっている芝居と、他校の芝居の差をまざまざと見せつけられた。悔しくて、もっと上手くなりたくて、大城戸はどんどん演劇にのめりこんでいった。2年の春には、初めて後輩を迎えた。2度目の大会では、府大会進出を果たした。大城戸の青春は、淀川工科高校演劇部――通称“淀演”の歴史そのものだった。

演劇部は、学校に来る理由。部室の中だけで見せた彼女の笑顔。

淀川工科高校14一方、もうひとり、淀演の歴史を語る上で欠かせない人物がいる。大城戸と同時期に入部した1期生の名越だった。照明を得意とする名越は、常に舞台の中心で輝く大城戸とは対照的に、決して前に出て目立つことはない。けれど、舞台裏でみんなに優しい光を当ててきた。顧問の萩原教諭は「淀演の照明は、みんな彼女がつくってきた」と胸を張る。男子ばかりの演劇部の紅一点は、いつも静かにそこにいた。声高に何かを主張するわけではない。ただそこにいるだけで、彼女は良かったのだ。

しかし、学校という集団社会は、繊細な名越にとって少し息苦しい場所だったのかもしれない。名越は次第に遅刻を繰り返すようになった。どうしても朝が起きられない。「学校の先生が嫌いやった」と名越は小さな声で言う。名越にとって、学校はできるなら行きたくない場所。それでも毎日登校してきたのは、演劇部があったからだ。

「演劇部は、学校に来る理由でした」

生粋の演劇少女だったわけじゃない。友達に誘われて、何となく入部をした。けれど、そこでたくさんの人と出会い、多くの芝居にふれ、大げさかもしれないが、彼女は生きる喜びのようなものを見つけた。教室では見せない笑顔を、放課後の部室では振りまいた。

だが、社会という巨大な集合体は、時に心優しき者に残酷な牙をむく。名越は遅刻指導というかたちで生徒指導室に呼ばれた。厳しい叱責と集団生活の重圧に彼女はやがて追いつめられていくようになった。

行きづまる台本づくり。こみ上げてきた3年間の想い。

淀川工科高校9その頃、淀演もまたひとつの分岐点に差しかかっていた。2013年夏、創部から3度目の大会が近づいていた。大城戸と名越にとっては、これが最後の大会。どんな作品で挑むか。大城戸が持ってきたのは、これまで淀演で何度かモチーフにしてきた宮沢賢治の一作『セロ弾きのゴーシュ』を原作にした創作台本だった。大城戸自らが執筆した、セロとゴーシュの対話劇。試行錯誤を繰り返しながら筆を進めてきた。だが、その完成度は納得のいくものではなかった。大城戸と萩原教諭は何度も作品について意見を交わし合った。その中で出たアイデアが、大城戸の描いた宮沢賢治の世界に、自分たち淀演の日常を重ねてみてはどうか、というものだった。萩原教諭は言う。

「ちょうど部ができて3年。1期生も卒業を迎えるタイミングだったから、ひとつの区切りとしていいかなと思ったんです」

3年間の集大成を。1期生に捧げる最後の舞台。

ひとつの部を立ち上げるには、多大な苦労が伴う。衝突もあった。途中でいなくなったメンバーもいた。多くの憤りや悔しさや歯がゆさが肥やしとなって、こうして今、楽しく演劇ができる土壌が整っている。だからこそ、草創期を共にした大城戸と名越を中心に据えた芝居ができたら。萩原教諭の胸には、そんな想いがあった。それは、間もなく旅立つ教え子への餞のようにも思えた。

「大城戸は演劇部の中心的存在。作・演出もやるし、舞台にもきっと主役として立つ。だから、名越をもうひとりの主役にするために、彼女自身の葛藤を物語にしたいと思ったんです」

淀川工科高校10教室で居場所を失い、生徒指導室で笑顔を失った名越が、唯一、自分自身でいられる場所。それが、部室だった。萩原教諭は知っていた、彼女がどれだけ優しい子なのかを。萩原教諭は知っていた、彼女がどれだけ真面目で一生懸命な子なのかを。名越の本当の良さを知っているからこそ、この作品をつくることは、萩原の教師としての使命だったのかもしれない。地区大会本番まで時間はなかった。ひとつ秒針が進むたびに足場が崩れ落ちる。そんな時間との戦いの中で、大城戸と萩原は新しい台本を書き進めていった。

「演劇部をつくりたいと思います」

そう宣言した日から一心同体で部をつくってきた大城戸と名越、そして萩原の想いが凝縮されたもの。それが、『さみしさは朝日を連れて~宮沢賢治「セロ弾きのゴーシュ」より~』だった。

自分たちを演じる難しさ。役者たちの苦悩と挑戦。

淀川工科高校4本作は、ある演劇部の物語だ。そこでは、宮沢賢治の『セロ弾きのゴーシュ』を大会で上演しようと部員たちが練習に励んでいた。しかし、ある日、突然、部長が部を辞め、学校からも去った。主人公は、いなくなった部長に見てもらいたい一心で、残された台本を完成させようとする。しかし、ひとり暴走する主人公から、やがて周囲の仲間たちは離れていく。「これまでの3年間のドキュメント」と語る通り、淀演の歴史をもとにした作品だ。役者は、全員あて書き。大城戸と萩原教諭の目線から描かれた自分が台本の中で躍動している。3年という短い歴史だが、あて書きに挑戦するのは初めてのことだった。

2年の奥谷は、はじめは「なぜ自分がこの役かわからなかった」と戸惑った。奥谷は中盤で主人公の大城戸と激しく対立する。大城戸に食ってかかる役どころに「自分はこんなふうに怒鳴ったり詰め寄ったりしない」と違和感を覚えた。架空のキャラクターを演じるのではなく、自分をベースにしながら、作品の中に自分を溶け込ませていくという作業は、今までにない迷いの連続だった。

一方、ただひとり自分ではないキャラクターを演じる者がいた。物語の中軸となる名越は、照明のため舞台に立つことはない。そのため、名越自身を投影させたキャラクターが必要だった。それが、2年の門田が演じた部長だった。

淀川工科高校6部長は物語の冒頭で早々に退部をする。主人公はその影を追い、自問自答を繰り返す。名越とは「よく部活の終わりに愚痴とか言い合っていたので、悩みや気持ちはわかる部分もあった」と共感を示す門田だが、出番は短いながらもキーマンとなる役どころには、プレッシャーを感じずにはいられなかった。日ごとに増す不安と恐怖と戦いながら、役者たちは作品と向き合い続けた。

台本の世界観を忠実に再現する。スタッフたちの舞台裏。

淀川工科高校12また、淀演はこだわりぬいたスタッフワークも見どころのひとつだ。

風車小屋を彷彿とさせる古い木造の窓辺には、隅々にまで汚しが施されている。衣装も敢えて無地のロングTシャツで統一。赤、青、黄色、オレンジなど色違いのシンプルな衣装は、宮沢賢治の世界と演劇部の日常が融和した本作の世界観に絶妙にマッチしている。

音楽は萩原教諭が自ら作曲を手がけた。役者の芝居に合わせて、尺まで巧みに計算し尽くされたBGMを、音響の1年・田邉が心を添わせるようにして場内へ響かせる。「練習中は、“もっと煽れ、もっと煽れ”と何度も先生からダメ出しをもらいました」と田邉は恥ずかしそうな顔を見せる。

また、照明の名越と松久保も、作品の持つ空気感を温かな光で表現した。

淀川工科高校13「作品の冒頭は夜。そこからいろんなものを乗り越えて、最後は朝を迎える。そんなふうに、芝居の最初と最後で変化をつけられればと思いながらプランを立てました」

萩原教諭自らが「名越の照明が映えるような芝居にできたら」と期待をこめて書き上げた本作。3年間、淀演の照明を務めた名越は、その狙いに豊かな感受性で応えきった。

夏の全国はお茶の間で見てるから。3年生から受け取った期待のエール。

淀川工科高校52年生にとっては2度目の大会。演劇に勝敗をつける是非はともかく、「せっかく勝敗がつくんだから、できる限り上を目指そうという気持ちはあった」と奥谷は負けん気をのぞかせる。また、同じく2年の黒田は、コンクールの練習が始まった当初から、部長の大城戸が繰り返してきた言葉がずっと心に残っていた。

「何度も“夏の全国は、オレはお茶の間でお前らの舞台見てるから”って言ってて。ヒロくん(大城戸)は、府大会や近畿じゃなくて、全国っていう大舞台を本気で目指してる。その熱意をそばで感じていました」

それは、歴史も伝統もない新設部が見た奇跡のハイスクールドリームだったのかもしれない。だけど、大城戸はその夢が叶えられることを本気で信じ、努力をしていた。自分たちの集大成を見せる舞台は、もうすぐそこまで近づいていた。

 
>> 後編へ続く

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