愛知県立刈谷東高校

特殊だけど、特別じゃない。【前編】

「定時制」という言葉を耳にしたことは、みな一度はあるだろう。一般的には、定時制と聞くと、夜間の学校が連想されるが、近年では昼間に授業を行う学校も増加している。刈谷東高校は、夜間定時制課程・昼間定時制課程・通信制課程の3つの課程を擁する高校だ。この春、行われる春季全国高校演劇岩手大会――いわゆる“春の全国”にこの刈谷東高校が出場する。夏の全国をあわせても、定時制高校の演劇部が全国大会に出場するのは、この刈谷東のみ。全日制の高校とは異なる事情を持った刈谷東高校演劇部の舞台裏には、少し特殊な、けれど決して特別ではない生徒たちの笑顔と涙があった。

(Text&Photo by Yoshiaki Yokogawa)

約6割が不登校児。「昼間二部制」高校の演劇部との出逢い。

刈谷東高校15刈谷東高校は、「昼間二部制」という、少し聞き慣れない制度を採用している。これは、学年はあるものの、卒業に必要な教科・科目を74単位以上修得することで卒業できるシステムだ。ここには、中学や高校で不登校になった生徒たちが多く集まる。その数は、全体の約6割ほど。刈谷東高校演劇部のメンバーも半数が不登校によって、一度、集団社会から“はみ出してしまった”生徒たちだ。

色眼鏡を持たなかったと言えば、嘘になる。果たしてスムーズに質問に答えてもらえるだろうか。一抹の不安を胸に、名古屋駅から電車に揺られること約30分、刈谷の地に降り立った。

迎えてくれたのは、顧問の兵藤教諭だった。着任以来、今回で春・夏あわせて3度目の全国出場。全国紙にも演劇教育に関するコラムが載り、不登校児との演劇部での日々をまとめた書籍も出版している名物顧問だ。もうひとつ正直に言えば、いつもより緊張したのは、兵藤教諭の存在によるところも大きい。独自の演劇観を持った手練の教育者。それが、取材前の兵藤教諭のイメージだった。

春の全国まで残り1ヶ月。部室までの道すがら仕上がりを尋ねたら、眼鏡の奥に感情の読みにくい目を隠したベテラン教師は、短くこう言った。

「不愉快ですよ」

それが取材の始まりの言葉だった。

舞台はラジオ局。異色の設定に秘められた刈谷東高校の現実。

刈谷東高校14兵藤教諭が書き下ろした『笑ってよゲロ子ちゃん』は、ラジオ局を舞台としたドラマだ。高校生はみな自分よりずっと年上の職業人を演じる。高校演劇の世界では、役者たちは自分と同世代の高校生あるいはその周辺を取り巻く親や教師を演じるのが常道だ。それが最も高校生にとって演じやすく、また感情移入しやすいからだろう。特に大会レベルになると、その傾向は顕著になる。昨年の全国大会を見ても、出場全12校のうち高校生を物語の中軸としない作品は4校のみ。3分の2が、高校生の高校生による舞台だ。また残りの3分の1も、日常の延長線上ではなく、特殊な設定のもとで劇作をしている。

その是非は、ここでは問わない。ただ、こうしたラジオ局のディレクターやプロデューサーといった、職業的に普段の生活ではなかなか接する機会のない、けれどごく一般的な大人たちを高校生たちが演じるという光景は、とても新鮮に思えた。その意図を尋ねると、兵藤教諭は何でもないような口調で「台詞を覚えなくてもいいようにですよ」と返す。

「ここにいる子どもたちは台詞が覚えられないというプレッシャーだけで逃げてしまうんですよ。毎年、地区から県、県から中部へと進むごとに、重圧に耐えきれず誰かがいなくなる。部活を辞めてしまったことがきっかけで、学校自体を辞めてしまった子もいる。そんなことをさせるわけにはいかない。だから、台詞を覚えなくてもいい、いや、たとえ台詞が飛んでしまっても手元で確認できる設定を、毎回、考えているんです。そうすれば、この子たちも安心でしょう」

ラジオ局なら手元に原稿があっても不思議ではない。万が一、本番の舞台で台詞を忘れても、原稿に書いてある台本を読めばいい。だから、兵藤教諭はラジオ局という舞台設定を選んだ。

それは決して奇をてらった冗談ではない。約6割が不登校児という環境で教鞭をとってきた兵藤教諭が行き着いたひとつの答えだった。

自分のコンプレックスを克服するために。演劇を学ぶ生徒たち。

しかし、そんな兵藤教諭の言葉とは裏腹に、子どもたちは想像よりずっと明るく、健やかだった。返答にまごついたり、緊張で口調が早くなってしまうことはあっても、それは同校に限らず、大人と接することに慣れていない高校生なら、ごく自然のことだ。言われなければ、ごく普通の高校生にしか見えない。だが、その内面にはやはりそれぞれにデリケートな過去を抱えていた。

「前の高校で不登校になって、刈谷東に再入学することになりました。それで、以前、ここの演劇部が新聞で取り上げられていたのを思い出して、入ってみようと思ったんです」

1年の竹内は、演劇部に入部した理由をそう説明した。竹内だけではない。同じく1年の浦松も「人前で話したりするのが得意じゃない」と打ち明ける。

刈谷東高校8「声も小さいし、表情も硬い。人と話すのも苦手で、自分に自信はありません。でも、演劇部のチラシを見て、そういう自分のコンプレックスにしていたことが治るよって書いてあるのを読んで、入部してみようと思いました」

演劇部に入って半年。浦松は「この間、中学の後輩に会った時、“先輩、表情が豊かになりましたね”って言われたんです」と小さく笑った。社会という荒波に打ち上げられ、漂流した子どもたちにとって、ここはその傷ついた身を癒す小さな岸辺だった。

まずはひたすら怒鳴らせる。特殊な指導方針の狙いとは。

舞台設定こそ大人の世界ではあるが、一人ひとりのキャラクターは演じる人物の性格に合わせてつくられた。最初から完成された台本はない。1ページ1 ページ、兵藤教諭が日々の練習風景を見ながら書き進めていく。なぜなら、それぞれの役者がどんな台詞は言えて、どんな台詞は言えないのか、見極める必要があったからだ。

「舞台上で、役者は演技をしていないんですよ。この子にはこういう語彙がある。この子はこの場面に放り込まれたら、こんなリアクションをとる。それが見えて、初めて台本にしていく。言えない台詞は言わせられない。だって、それは嘘になりますから」

刈谷東高校5また、『笑ってよゲロ子ちゃん』では、県大会まで非常に特殊な演出方法が用いられていた。役者たちは、ひとつひとつの台詞を不自然なくらいに怒鳴って話す。これには、兵藤教諭のある思惑があった。

本作は、救いのないラストで幕を閉じる。この結末は、リアルに演じてしまうと、いやらしすぎて見ていられない。だから、敢えて演技を極端にデフォルメすることで、リアリティを排除し、虚構の世界であることを前提づけたのだ。1年生の加藤は初めての芝居に戸惑いながらも「言われたことはとにかくしっかりやろうと思った」と無我夢中で取り組んだ。

台詞を相手に届けるために。自分の壁を壊す作業が続く。

また、怒鳴る演技にはもうひとつ狙いがある。

「この子たちは、人が怖いんです。だから人を怒鳴れない。ぶつかり合うことを恐れて、その前でストップさせちゃうんです。それでは、台詞が相手に響かない。相手に響く前に自分のところに戻ってきてしまう。それをなくすために、まずは徹底的に人に強くアプローチするということを体に覚えさせるんです」

1年生のほとんどが演劇初心者だ。台詞を相手に届けるということがどういうことなのか。その意味がわかる由もない。1年の竹内も、兵藤教諭のダメ出しに最初は戸惑いを隠せなかった。そこで、こんな変わった練習方法が取り入れられた。竹内は言う。

刈谷東高校6「相手と手をつないで、台詞を話すんです。慣れない人と手をつなぐと何だか居心地が悪くて、ちゃんとつないでいるつもりでも手と手の間に微妙な空白が生まれる。自分の言葉が相手に伝わっていかないというのがよくわかるんです。最初は伝わるということがどういうことなのか、ちっともわからなかった。でもこうやって練習を重ねていくうちに、少なくとも伝えることが難しいということはわかるようになっていきました」

演劇を通じたコミュニケーション。人と向き合うことが人よりも少し苦手な彼女たちは、自分の体を使って感情を伝えるという作業を少しずつ理解していった。

本番での失敗。それでも掴んだ“初めての勝利”。

そして、地区大会の日がやってきた。本番直前、控室で出番を待つ彼女たちは一様に緊張で硬くなっていた。少しでも体をほぐそうと、全員が一列に並んだ。端から端へ、ひとりずつ笑い声をあげていく。通称、“笑いの伝播”。リレーのように笑い声を隣の人にバトンタッチし、受け取った相手はもっと大きな笑い声でまた隣に笑いのバトンを渡していく。そうやって笑い声を増幅させていき、最後はみんなであらん限りの大声で笑う。委縮した身を温める、刈谷東高校独自の本番前の儀式のひとつだ。

昨年は、地区敗退で終わった。「今年の目標は、県大会進出」と2年の鈴木は掲げる。刈谷東高校の勝負の時が始まった。

刈谷東高校9本番の緊張は思わぬミスを招く。生放送中のラジオの収録シーンという場面から始まる本作は、冒頭で吉幾三の『雪国』が流れる。しかし、1年の音響・小田の操作ミスで音楽がかからない。動揺を隠しながら役者は演技を進める。アナウンサー役の竹内が次の曲を紹介する。今度は、テレサテンの『つぐない』。だが、混乱した小田は誤って『雪国』を流してしまう。もうメチャクチャだった。ディレクター役の2年・加藤が機転を利かせ、アドリブで場をつなげた。物語は進み、何とか盛り返した。

「クライマックスのシーンでは、演じながらみんなの頑張りが伝わってきた。だから、私も頑張らなくちゃと思いました」

加藤は怒濤のごとく感情が渦巻くハイライトをそう振り返る。できる限りのことはやった。しかし、悔いの残る内容ではあった。果たして評価はどう下るのか。全員が固唾を呑んでその時を待った。

刈谷東高校17審査の結果、刈谷東高校は無事に県大会へと駒を進めた。「去年のリベンジが果たせた」と加藤は安堵の表情を浮かべる。同じく2年の鈴木も「安心したし、嬉しかった」と笑顔だ。一方、1年生はまだ大会の意義も実感もよくわからなかった。「また劇がやれることが単純に嬉しかった」と浦松は目を細める。人から認めてもらえた経験は決して多くない。勝ち負けという言葉がふさわしいかどうかはともかく、これはそんな彼女たちが自分たちの手で掴んだ“初勝利”だった。この先に思いがけない事態が待ち受けているなんて想像することもなく、刈谷東高校は歓喜の余韻に浸っていた。

 

>> 後編へ続く

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