岐阜県立池田高校
自己否定と自己肯定のはざまで。【前編】
2013年12月25日。高校生なら誰もが心踊るクリスマスに、決意の舞台に立った者たちがいた。岐阜県立池田高校演劇部。通算9度目の中部大会進出を果たした同校は、初めて全国への切符を手に入れた。悲願達成の裏側には、どんなドラマがあったのだろうか。1年間に及ぶ長い道のりを追った。
(Text&Photo by Yoshiaki Yokogawa)
初の全国出場へ。あと一歩で届かなかった夢。
2012年12月。第65回中部高校演劇大会。出場校のひとつである池田高校演劇部には、どうしても掴みたい夢があった。18年、部を支えた顧問の高橋教諭が、今年で定年を迎える。着任以来、ずっとこの演劇部を見守り、育ててくれた先生に感謝の気持ちを届けたい。そこで目指したのが、まだ一度も立ったことのない全国の大舞台へ高橋教諭を連れて行くことだった。
「高橋先生を全国に連れて行こう」
それが、池田高校演劇部の合言葉だった。
満を持して挑んだ中部の舞台。自分たちなりに満足のいく芝居ができた。客席も温かい拍手で沸いた。しかし、手にしたのは、実質的には3位を意味する中日賞。あともう一歩のところで、またしても全国の夢は届かなかった。青春のすべてをかけて臨んだ福井市文化会館を、池田高校は悔し涙を落として後にした。
グループ分けされる生徒たち。学校社会にひそむ見えない序列。
時は過ぎて、2013年4月。池田高校は大会に向けて脚本委員会を結成した。有志のメンバーを募り、どんなテーマに挑戦するか議論を重ねたが、なかなか方向性が決められない。昨年の大会について結果に対する悔しさはあったものの、作品には確かな満足感があった。また同じようなものがやれたらいいな。漠然とそんなふうに思っていた。顧問のひとりである西野教諭は、どこか挑戦心に欠ける生徒たちの姿勢に苛立を覚えずにはいられなかった。
そんな中、ひとつのキーワードが引っかかった。スクールカースト。学校という社会の中で自然発生する見えない序列を示すこの言葉は、ここ数年、一般にも急速に広まりつつあった。上位グループに分類される子どもたちと、下位グループに分類される子どもたち。何が差を分けるのか。一歩社会に踏み出せば、学校という世界はあまりにも狭く小さい。しかし、生徒にとって学校は世界のほぼすべてであり、どこまでも巨大だ。その中で、他者の目線によってしたたかにランク付けされる現実を描くこと。それは、高校生である自分たちだからできることのように思えた。
主人公は、ゴキブリ。想像がつかないからこそ、やってみたいと思えた。
話し合いをもとに、西野教諭はある着想を得た。もともと池田高校のある揖斐郡池田町は、ゴキブリ駆除でおなじみのホウ酸団子発祥の地であった。このバックボーンを巧みに活かし、西野教諭が書き上げた脚本が『麒麟児 -killing G-』だ。舞台は、ある学校。そこでは、いかにゴキブリを殺せるかによって生徒の序列が決められる。学校社会とゴキブリの世界を行き来する独創的な設定に、生徒たちからは賛否両論が返ってきた。
「面白かった。読んでいても、どんな劇になるのか想像もつかなかった。でも、だからこそワクワクする気持ちが大きかった」
3年の杉山がそう声を弾ませると、2年の安江も「読んですぐやりたいと思った」と答える。西野教諭の繰り出す奇抜な世界観は、若い感性を大いに刺激した。一方で、「一回読んだだけでは何を言ってるのかよくわからなかった」と2年の大西は首をひねる。それでも「読みこんでいくうちに、少しずつこういうことなのかなというものが見えはじめた」と付け加えた。
「何回も読まないとわからない。だからこそ、お客様にも何回も見てほしいと思った」
そう3年の牧村が本作の魅力を解析する。3年生にとっては、大会が現役最後のステージ。真価を決める台本選びで、妥協だけはしたくなかった。他にも候補作はあったが、しっくりこない。「最後の公演をゴキブリで終わりたくはなかったけど」と冗談めかしつつ、迷いのない表情で言い切った。「この台本を選んで良かったなと思います」と。
この役がやりたいと思った。本能が告げた運命の役との出会い。
『麒麟児 -killing G-』には、個性豊かなキャラクターが次から次へと登場する。その多くが、顧問である西野教諭がそれぞれの生徒の個性に合わせて書き上げたものだが、中でも特定の人物をイメージして当て書きされたキャラクターがいる。それが、主人公であるゴキりん、そして麒麟児だ。演じたのは、2年生の吉田。3年生を差し置き、彼女が本作の主役に抜擢された。
「吉田は我が強くて人一倍努力家。1年の時はめちゃくちゃ下手だったけど、どんどん吸収して成長していった。脚本委員会の話し合いでもみんなが前回を踏襲したものをと守りに入る中、彼女だけが貪欲に変化を求めていた。吉田の持つ強さや鋭さ、そんなものをイメージしながらこの台本は書きました」
西野教諭は、吉田の人物像をそう評する。吉田もまた一読しただけで、「この役をやりたい」と直感した。
「どこに共感するのかと言われたらよくわからないんだけど、何だか自分に合うって、そう感じたんです」
彼女の小さな体の中で、めざましい勢いで開花しつつある演劇人としての本能が反応したのだろうか。かくして、池田高校の長い挑戦の物語が幕を開けた。
ゴキブリの動きを肉体で表現する。汗と筋肉痛との闘い。
『麒麟児 -killing G-』の見せ場のひとつは、創造性に富んだ演出表現だ。本作には、ゴキブリたちが人間を飲みこむ場面など、演劇的な表現方法が求められるシーンも多数登場する。これをどう自分たちの体とスタッフの技術を使って表すか。演出の3年・今泉をはじめ、全員が頭を悩ませた。
中でもこだわりぬいたのが、ゴキブリの動きだ。劇中では、めまぐるしく世界が入れ替わる。ゴキブリの世界では、ゴキブリたちは人間同様に二足歩行で話をするが、ひとたび人間社会に飛ぶと、日頃から忌み嫌われる醜いゴキブリにその容貌を様変わりさせる。役者たちは、膝を曲げ、上体を低く屈めて腕を伸ばし、身体全体でゴキブリの姿を表現した。日常生活では決してとることのない姿勢。長時間キープするだけでも大変な筋力が必要だった。さらに、そのポーズのまま舞台上を駆け回る。その動きも全体で美しく統一しなければならない。最初は汗と筋肉痛に耐える毎日だった。悲鳴をあげる体に鞭を打ち、池田高校は役者もスタッフもみんなで一緒になってゴキブリポーズの特訓に明け暮れた。
明暗の対比を表情や仕草で表現する。悩み抜いた練習の日々。
また、主役を務める吉田もまた自身の演技について悩みを抱えていた。『麒麟児 -killing G-』のテーマは、“自己否定と自己肯定のはざま”。その本質を端的に表したのが、吉田の演じるゴキりんと麒麟児という正反対の2つのキャラクターだ。吉田は「麒麟児が“明”なら、ゴキりんは“暗”」とその特徴を解説する。スクールカーストの頂点に立つ麒麟児と、ヒーローに憧れるゴキりん。場面ごとに、ゴキりんは麒麟児に変身し、麒麟児はゴキりんへと姿を変える。その変化をどう表現すればお客様に伝えられるか。「頭ではイメージできているんだけど、自分の技術が追いつかなかった」と吉田は葛藤を告白する。そこで吉田は自身の演技を客観的に見ることを心がけた。
「お客様はいろんな視点からお芝居を見る。すごくまっとうな目線から見てくれる人もいれば、ちょっとひねた見方をする人もいる。だから私自身もいろんなお客様の目を持って、自分の演技がどう受けめとられるか考えるようにしました。そうすることで、ぐっと自分の演技の幅が広がったんです」
また、一緒に練習する仲間の演技も熱心に観察した。少しでもいいなと思うところがあれば、貪欲に取り入れる。台詞ではなく、ちょっとした表情の変化や仕草で、ゴキりんと麒麟児の繊細な精神世界を表現した。
まずは第一関門突破。そして浮かび上がる次なる課題。
練習が進む一方で、刻一刻と審判の日も近づいてきた。地区大会の本番は、7月21日。西濃地区からは全12校が出場する。そのうち県大会への切符を掴めるのは、4校。まずはここに飛び込むのが絶対条件だ。「何が何でも上へ行きたい気持ちがあったわけではなかった」と振り返る。だが一方で、3年連続で中部大会まで進出した実績も背負っている。複雑な感情に揺れ惑いながらも、沸いてくるのは「本当に大丈夫か」という不安だった。
「何度も台本に改稿が加わり、まだ役を掴みきれているとは言えない状態でした。何もかも中途半端な中で迎えた地区本番。私たちにとってはこれがラストチャンスだったからこそ、怖い気持ちがありました」
そう3年の牧村は当時の心境を語る。見守る顧問の西野教諭も「地区が一番ドキドキした」と打ち明ける。緊張と不安の入り混じった地区本番。幕が下りた後のことはほとんど何も覚えていないと言う。手応えはなかった。自分たちは果たして選ばれるのか。祈るような気持ちで講評の時を待った。
「だから、優秀賞で名前を呼んでもらった時は、嬉しいと言うよりも、まずは良かったという感じでした。これで次に挑戦できるとホッとしたのを覚えています」
しかし、作品の完成度はとても納得のいくものではない。どうすればもっとお客様の心に残るものがつくれるのか。生徒たちは再び試行錯誤の森へと足を踏み入れた。
>> 後編へ続く