群馬県立桐生高校
演劇だけが、すべてじゃない。【前編】
全国大会のステージに立つ高校と言えば、豊富な実績を誇る強豪校だったり、名うての顧問がいる注目校。自分たちのように、ひそかに活動をしている学校には、そんな大舞台は縁がない。と思っている高校生も中にはいるのかもしれない。
けれど、ほんの1年前までは全国大会なんて想像もしなかった学校に、突如その道が開かれることもある。全国初出場を決めた群馬県立桐生高校は、そんな高校のひとつだろう。活動時間は平日のみ18時まで。土日は休み。夏休み・冬休みも日数限定で、丸一日練習することはない。練習内容もあくまで主体は生徒だ。「自分たちのやりたいことをやる」が信条の同校は、いかにして全国への階段を駆け上がったのか。その歩みを追いかけた。
(Text&Photo by Yoshiaki Yokogawa)
無駄な練習はやめる。自分たちで決めた自分たちらしい活動スタイル。
2013年初夏、3年生の引退を経て、部長に就任した2年の前原は、あることを宣言した。
—―土日は一切練習なし。平日も練習は18時まで。
とかく演劇部の練習というものは長時間になりがちだ。上位大会に進出してくる学校ともなれば、毎日遅くまで稽古をして、丸一日休めるのはテスト期間と盆正月のみ。というケースもそれほど珍しくはない。かつては桐生高校もそうだった。けれど、一日練習をしていれば疲れもたまるし集中力も低下する。それに、高校生にとって部活動がすべてではない。特に桐生高校は県下でも指折りの進学校。毎年国立大や有名私大の合格者も多数輩出している。勉強もしなければいけないし、もちろん友達と遊ぶ時間も貴重だ。演劇漬けじゃない、普通の日常を送ることが、結果的に創作活動にプラスになることもある。
だから、前原たちはみんなで話し合って決めた。夏休みも練習は平日半日のみ。もしかしたらそれは毎年県大会や北関東大会に出場するような強豪校ではないからこそ実現し得たのかもしれない。けれど、彼らは限られた練習量で、全国大会初出場という快挙をなし遂げた。それを奇跡と呼ぶ気はまったくない。なぜなら、ここにいる生徒たちはみなその栄誉にふさわしい輝きを放っているからだ。
自主自立が大原則。自分たちがやりたい芝居を貫き通す。
ここ最近の大会成績を振り返ってみると、桐生高校が最後に県大会に進出したのは2009年にまで遡る。以降は、毎年、地区大会どまり。
顧問の武島教諭は2012年に赴任してきたばかり。これまで演劇経験はゼロ。この桐生高校で、初めて演劇にふれた。いわゆるスーパー顧問の着任による快進撃というストーリーにも当てはまらない。事実、武島教諭は「基本的に生徒に任せる」という生徒の自治を第一に考える。もちろん大人として言わなければいけないことは口にする。生徒の段取りや考えが甘い時には厳しく注意もする。だからと言って、生徒に何かを押しつけることは決してしない。彼らが自立自走できるように、さりげなく気を回し、必要なステップを用意する。だからだろうか。取材中も生徒たちからは「やりたいことをやる」という言葉がしきりに出た。誰かのお仕着せでやるのではなく、自分たちがやりたいことをやりたいように。それが、桐生高校演劇部のスタイルだ。
大会よりも大切なこと。楽しく、自由に、のびのびと。
そんな彼らだから、大会に対する感覚もひと味違う。むしろ「大会はそんなに好きじゃない」とさえ言ってのける。今回、演出を務めた2年の後藤は「大会は表彰とかもあるからガチになる分、ストレスがたまっちゃう。それよりも普通の公演の方がやりたいことができる」とあっけらかんだ。前原も「世間体とか気にせず、のびのびやれる方が楽しい」と口を揃える。適度に休んで、適度にやって。変に力むつもりはない。肩肘張らない等身大の自分たちで、これまでずっとやってきた。舞台監督の2年・青木も「うちはメラメラってタイプじゃない」と証言する。
「高校生の身の丈に合うのをやるのが一番。重たいテーマを扱ったものもあるけれど、たとえば死を扱うとして、それって本当に親が死んだとか友達が死んだ人でないと表すことはできないんじゃないかって思うんです。だから、自分たちが伝えられるものを、わかりやすく。そういうお芝居をやっている時が、いちばん楽しいですね」
高校生の男の子らしい、率直で胸のすくようなポリシーだ。部員同士で集まると、すぐに笑い声が上がり、ふざけたポーズを取り合ったりする。自分たちが楽しむということがどれだけ大事なのか、彼らはちゃんと知っているのだ。
どの候補より面白かった。歴史に埋もれていた佳作の発掘。
台本選びも、いちばんにこだわったのはコメディであること。部員たちでいくつか既成の台本を持ち寄り、意見を交換した。そんな折、副顧問を務める松原教諭が、前任の高校時代に見たある戯曲を思い出した。当時、会場を大いに沸かせ、評判をとったコメディ。それが、同校の作品だったと言う。部室をひっくり返し、同窓会名簿を洗い出し、桐生高校演劇部はその作者とコンタクトをとった。作者の名は、金井。タイトルは、『通勤電車のドア越しに』。約10年前に同校演劇部が上演し、県大会出場を掴み取った作品だった。
「初めて読んだ時、他の誰が選んだものよりも面白いと思った」
前原は読後の第一印象をそう語る。本作は、最終電車に乗り合わせた疲れたサラリーマンが、個性的な登場人物と軽妙なやりとりを広げながら、自らの現状を突破しようとする、「自我の覚醒」を描いた作品だ。確たるメッセージ性が練りこまれながらも、それが重々しくも仰々しくもならず、程よい抜け感とユーモラスでテンポのいい台詞で綴られているところが、自分たちらしいと思えた。
総勢12名。いわゆる演劇オタクはいない。ごく普通の高校生たちを乗せた大会行きの電車は、かくして始発駅を出発した。
絶妙のキャスティングで臨む、高校生が演じるサラリーマンの悲哀。
演出の後藤は、この台本を気に入った理由のひとつにキャラクターの個性を挙げる。それぞれ出てくる登場人物が、みな演劇部の面々の特徴にマッチしているように思えた。中でも主人公の大島は、後藤が演技を見て、2年の前原を選出した。理由は、その生活感。仕事に追われ疲弊したサラリーマンの悲哀を、最も上手くにじませていたのが、前原だったからだ。
とは言え、高校2年生の男子が、自分の年齢の倍はあるサラリーマンを演じるというのは決して容易いことではない。まだ成長段階にある体では、衣裳のスーツも着られている感が拭えない。違和感なく役を自らに溶け込ませていくのは苦労も多かったはずだ。
「大島は、仕事柄、いつもヘコヘコしてる。自分は全然そんな感じじゃないから、その雰囲気を出すのはかなり難しかったです」
ワンシチュエーションで進む本作では、大島は冒頭からラストまで一度も舞台袖にハケることはない。約60分もの間、出ずっぱりの前原は、肉体的にも精神的にも緊張を強いられる状況下で、本作の肝である歯切れの良い台詞の応酬を、仲間との呼吸や間合いが揃うよう何度も何度も練習した。
演出は楽しいけれど、辛い。のしかかる重圧と闘う日々。
自分たちが楽しいと思えるものをつくって、お客様に楽しんでもらいたい。そんな想いがつまった本作を、先頭に立って引っ張ってつくり上げたのが、演出の後藤だ。前原たち2年の他に、舞台には入部して間もない1年生ももちろん登場する。滑舌であったり、動きであったり、経験の少ない1年生には基礎から地道に指導した。「自分が指揮をとって劇をつくる過程は楽しい」と口にする一方で、後藤はぽつりと本音もこぼした。
「演出は楽しいこともあるけれど、辛いことの方がずっと多い」
役者の演技を見てダメを出すことは性に合っていると自覚しているし、そのプロセスこそが演出の醍醐味であることもよくわかっている。けれど、だからこそ、作品を背負う責任もひしひしと感じている。辛口の感想も耳が痛くなるような批判も、まず真っ先に受け止めなければならないのは自分自身。それは、高校2年生の肩が負うには、少し厳しすぎるほどの重圧だ。ここに行き着くまで、決して楽をしたわけでも楽しいことばかりだったわけでもなかった。後藤の一言は、そんな語り尽くせない1年間の悲喜こもごもを簡潔に表していた。
全国制覇なんて考えたこともない。自分たちのやりたい芝居をやりたいようにやれたら。そんなごく平凡だったはずの小さな演劇部にスポットライトが当たる時は、もうすぐそこまで来ていた。
>> 後編へ続く