群馬県立桐生高校
演劇だけが、すべてじゃない。【後編】
そのユーモラスなキャラクターと等身大の演技が愛され、桐生高校演劇部は次々と大会を突破していく。しかし、毎日の勉強や進路選択。部活以外にもやるべきことが山積みの高校生たちの胸の内には、喜びと共に戸惑いや焦りも膨れ上がってきて…。
(Text&Photo by Yoshiaki Yokogawa)
場内が一体となる大爆笑。驚きと戸惑いの地区大会突破。
いよいよ迎えた地区大会。主役の前原は、昨年の大会ではオーディションに漏れ、大道具を担当していた。そのため、コンクールに役者として出場するのは、2年目の今回が初。けれど、「緊張はしていなかった」と明るい笑顔は崩さない。お客さんが笑ってくれたら、それで十分。想いは、それだけだった。
そんな意気込みを大きく上回り、『通勤電車のドア越しに』は大爆笑をもって観客に迎えられた。3日間にわたる東毛地区大会の大トリ。客席は上演を終えた他校の生徒たちでいっぱいだった。満員の会場を味方につけての60分。その掛け合いに、その一挙手一投足に笑いが起き、場内は心地良い一体感に包まれていた。
しかし、そんな空気も彼らにとってはどこ吹く風。前原は「手応えはまったくなかった」と口にする。むしろ、劇中、台詞を噛んで、自ら笑ってしまったミスの方が印象的だった。これで県大会は行けないな。上演が終わった後は、そんなふうに周りにも発言していた。
だから、講評で自分たちの名前が呼ばれた時も、咄嗟に誰も反応できなかった。県大会出場を示す優秀校は、3枠。その最後に桐生高校の名が読み上げられた。演出の後藤はその時の戸惑いをこう振り返る。
「僕たちはクオリティを求めていたわけじゃなく、ただやりたい演技をやっただけ。だから、“これで終わったんだな”ってつもりだったし、自分たちが呼ばれても“あれで?”という気持ちの方が大きかった」
当人たちも予想だにしなかった県大会出場。しかし、それは電車にたとえるなら、まだ最初の駅を通過したところ。長い長い彼らの旅路の第一通過点に過ぎなかったのだった。
すべてが青天の霹靂。県大会、そして北関東大会へ。
思いがけず掴んだ県大会の切符。「せっかくだから、いい想い出をつくろう」と乗り込んだその電車は、県大会というホームに到着しても、そこを終着駅にはしなかった。会場の安中市文化センターを爆笑の渦に巻き込むと、彼らを乗せたレールは、まさかの北関東大会へ。そこには、同じ高校生とは思えないレベルの学校がひしめき合っていた。大道具のクオリティも演技のレベルも、完全に場違い。自分たちでもはっきりそう自覚していた。
「周りがすごすぎて、こんな素晴らしい劇ができるんだって圧倒されっぱなし。他は役者の動きも道具もプロ。オレたちがこんなところに出ていっても笑い者だよと思ってました」
前原のそんな言葉からわかる通り、もはや同じ土俵で勝負をする相手というふうには見ていなかった。むしろいち観客として、板の上で繰り広げられるドラマに目と心を奪われていた。しかし、最優秀賞に選ばれたのは自分たち。歴史に名を刻む快挙にも、嬉し涙を流す者はひとりもいなかった。ただ自分たちの身に起きた出来事に唖然とするばかりだった。
そう。彼らは人も羨む快進撃の主役を演じながら、誰ひとりとしてそのことに涙を流した者はいなかった。地区でも県でも北関東でも、結果に号泣する他校をよそに、舞い上がったり慌てふためいたり、初めてづくしの体験に信じられない気持ちの方が大きかった。
唯一、北関東大会からの帰り道、バスの中で涙をこぼした者がいた。それが舞台監督の青木だった。
仲間を支える縁の下の力持ち。舞台監督の知られざる苦労と努力。
高校演劇における舞台監督は、スポットライトこそ滅多に当たらないものの、芝居の成否において重要な役割を担っている。人手も予算も足りない同校では、青木を含め、役者裏方総動員で大道具の製作を行った。何しろ部員のほとんどが演劇未経験。常勝校のように部材にお金をかけられるわけでもないし、強度を計算した設計技術があるわけでもない。すべて、自分たちのアイデアで考え、自分たちの手でつくり上げた。そのため、期間中、何度もアクシデントに見舞われた。県大会では、大道具で用いる電車のシートがトラックの中で破損した。北関東大会では、リハ当日、搬入の際、強風に煽られパネルが真っ二つに割れた。そのたびに青木はナグリ片手に修繕をし、折れたパネルを補強テープでぐるぐるに巻きつけた。
さらに、会場は初めて足を踏み入れるところばかり。リハーサルの時間は、大会によって異なるが、最大でも80分程度と限られている。青木は、綿密にプランを組み、秒刻みでスケジュールを立て、その中でやれることを最大限にやり尽くした。その冷静さと頭の回転の速さは、他校の顧問からも「桐生高校の結果は、あの舞台監督がいてこそ」と絶賛されるほどだった。
尊敬する先輩がくれた言葉。涙でにじんだLINEの画面。
そんな青木に舞台監督の心得を叩きこんだのが、1つ上の木村先輩だった。常に客観的であること。物事は段階を踏んで考えること。舞台監督に必要なイロハは、すべて木村先輩に教わった。木村先輩の言葉ひとつひとつが、青木の血となり肉となっている。
だから、帰りのバスの中、誰よりも尊敬する先輩から届いたLINEを見た瞬間、青木は涙が止まらなかった。
——本当に誇りに思える部です。
憧れてやまない先達からの賛辞。どんな審査員の講評よりも、それは青木の胸に熱く迫った。ひとり泣き出す青木に、みなは大騒ぎした。
何か大きな目標があってここまで来たのではない。正直、自分たちの意志とは裏腹にどんどんスケールが大きくなっていくことに動揺する気持ちがなかったわけでもない。だけど、この言葉をもらった瞬間、きっと青木はやってきて良かったと思えたはずだ。なぜなら、彼らの成長と成果こそが、大切に育ててくれた先輩たちへのいちばんの恩返しだからだ。
受験勉強との両立の厳しさ。そして決めた一時引退という選択肢。
とは言え、彼らにとって演劇がすべてではない、ということに変わりはない。北関東大会が行われたのは2月上旬。すでに周りの同級生たちは受験モードに入っていた。本当に全国大会に行くのか。そうしたら受験はどうなるんだ。焦りと混乱が足元に忍び寄っていた。
「どんどんステージが進むにつれて、演じる大島さんと同じルートを辿っている気がして、自分も同じようになるのかもと思ったら怖かったですね」
前原は、演じる役どころに当時の心境をそう重ね合わせる。主人公の大島は、高校時代は演劇コンクールで日本一に輝くという華々しい過去を持つ。それが、社会の荒波に揉まれ、打ちのめされていくうちに、いつの間にかかつて自分が夢見た場所とはかけ離れた岸辺へと打ち上げられていた。全国という大舞台へのチャンスを掴んだ大島は、「もしもそのせいで自分も受験に失敗したら」という恐怖を隠しきれなかった。
結局、彼らは年度が変わり、新しく新入生を迎えるとの入れ替わるように、一時引退という選択をとることを決めた。7月に入るまでは部活を休み、勉強に専念する。そして残り1ヶ月で、もう一度、舞台をつくり直す。その空白の2ヶ月は、全国という舞台に立つ上でクオリティに大きな瑕疵をもたらすかもしれない。そんなことは百も承知だ。演劇はすべてではないとは言え、この1年をかけてきた芝居だ。中途半端な気持ちで挑むわけでもない。ただ、部活と同じように、あるいはそれ以上に大事にしなければいけないことがたくさんある。そんな彼らにとって、これが最も身の丈に合った選択肢だったのだ。
取材当日は、練習再開からまだほんの数日のことだった。日がない焦り、ブランクによる不安、いろんなものを抱えて、桐生高校はひたちなか市文化会館の舞台を目指す。
限られた時間で成果を出す。そのために必要なのは、目的意識。
なぜ華々しい実績も目を引くような技術もない自分たちが、これだけ高い評価を受けたと思うか。そう問われると、青木は冷静に自分たちの強みをこう解説した。
「まずこの話は、“脱皮”がテーマ。サラリーマンではなくても、自分の殻を突き破るということなら誰だってできるし、よくわかる。照明も音響も凝った技法は何も使っていないけれど、わかりやすい。そこが逆に良かったんだと思う」
“常に客観的に見ること”が信条の青木らしい的確な分析だ。演出の後藤も「残り期間でやるべきことは、マンネリにならないように、気持ちを整えること」とペース配分を最重視している。時間がないからこそ、冷静に、やるべきことを明確に絞って、彼らは高校生活最後の舞台に臨む。
ここで、そもそも平日のみ18時までという限定的な練習時間の中で、どうやって成果を出せたのか。そのメソッドを演出の後藤に聞いてみた。
「心がけていることは、必ず練習の最初に今日やりたいことをみんなで共有すること。そして、それを時間内に必ずきちんとやりきるということです。でも、だからと言ってガチガチにスケジュールを組むわけではない。そうするとみんな辛いと思うし、ストレスになる。そこはいちばん避けたいし、ケアしているところでもあります。肩の力を抜きながら、やりたいことだけはやらせるように。そんな感じですね」
いつか大人になる前に。高校演劇が教えてくれるもの。
大きな理想のビジョンに向けて、少しずつスモールステップで近づいていけるよう、日々目標を設定し、助言を行っていく。決して圧力的にならないように、コミュニケーションの方法にも気を配る。それは何も演劇だけではなく、仕事をしていく中でも非常に有用なスキルと言えるだろう。大人でも難しいマネジメント論やタスク整理を、彼らは自然体でやってのけている。そのことに何よりも驚かされた。
演劇は、社会の箱庭だ。芝居づくりとはまた別に、社会に出て役立つ能力を知らず知らずのうちに体得できる。そこが高校演劇の面白さでもある。
この夏の大舞台で彼らがどんなお芝居をつくるかはもちろんこと、それ以上にいつかここにいる生徒たちが社会に出た時、どんなふうにその資質を花開かせていくのか。その未来図に胸がワクワクした。
もしかしたら劇中のような疲れたサラリーマンになっているかもしれない。でも、それよりもここで学び取ったいろんなことを武器に、たくましく働いている姿に賭けてみたいと思えた。こんな子どもたちがいるのなら、これからのこの国はきっと面白い。通勤電車のドア越しに映るのは、可能性に満ちあふれた未来だ。
※文中に表記されている学年は、大会上演時のものです。
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