現役東大生の19歳が見据える、演劇と私の未来。
高3の4月末まで学業と部活を両立し、現役で東京大学に合格した東さん。今、彼女は東大内の学生劇団である劇団綺畸に籍を置き、大学演劇への道を踏み出した一方で、これからの大学での学びを演劇へとフィードバックしていきたいと考えているそうだ。高校演劇で育った東さんが描く夢とは? これは、等身大の19歳からの未来の演劇界に対する提言だ。
(Text&Photo by Yoshiaki Yokogawa Assistant by Saori Yoshitake)
役者やスタッフだけが演劇に関わる道ではない。
――入学から約3ヶ月。大学演劇の世界に身を置いてみて感じる高校演劇との違いはありますか?
いちばん大きいのはスタッフワーク。高校演劇は大会の進行上、リハーサルの時間に限られていて、なかなか大がかりな舞台美術を組めない現実がある。だけど、大学はそういう制限はありませんので、美術も照明もとことんこだわりぬける。そこの差はすごく大きいなと感じています。
――よく大学演劇にいくと、高校演劇とは演技法や演出論がまったく違って戸惑う人も多いみたいですが。
もちろん中にはギャップを感じる人たちもいるかもしれませんが、今のところ私はまだそこまで感じていないですね。たとえば高校演劇をやっていた頃は、客席に背中を向けちゃいけないみたいなルールがあった。でもうちの劇団はそういうことはあまり気にせず、平気で背中を向けて台詞を喋ったりする。そういうちょっとした違いがあるくらいです。
――そもそも東さんは大学でどんなことを学びたいと考えているんですか?
演劇の社会的価値についてです。たとえば、すごい田舎があったとします。そこにいろんな地域から人が集まる仕組みをつくりたいという時に、演劇は使えるんじゃないかな、とか。劇場をつくって、そこに行けば絶対にいいお芝居が観られるって観光的な付加価値ができれば、町おこしにつながるかもしれない。私の地元の三重では、先ほどお話しした三重県文化会館のように、公共と民間が連携して、演劇をやっている団体を呼んだりしています。三重は今、演劇をつくる側の旅先にはなり得る。じゃあ次は三重は演劇を観る側の旅先になり得るのか。そういうことを授業で取り組んでいるところなんです。
――そう思うようになった理由は何があったんですか?
三重の劇場には素敵な大人がいっぱいいて、高校生の頃の私はそこのスタッフさんに憧れていたんです。そういう人たちと関わる仕事ができたら幸せだなって考えていうるうちに、文化振興に携わりたいと思うようになりました。今やりたいのは、劇団の制作さんを支援したり、演劇と社会をつなぐような仕事。たとえば資金繰りの面で、申請が通りやすくなる仕組みとか、そういうものをつくれるようになれたら。演劇をやっていると役者とかスタッフとかそういう進路が真っ先に浮かぶと思うんですけど、それだけじゃなくて、私がめざすような道もあると思うんです。高校生のみんなにもそのことを知ってもらえたら、進路の選択もきっと増えると思う。役者やスタッフには踏み切れないけど、演劇に関わっていたいっていう人にはそういう道もありなんじゃないかなって伝えたいですね。
“わざわざ”劇場に行くことに、どれだけ価値をつけられるか。
――東さん自身は演劇界の現状についてどんなふうに見ていますか?
演劇って芸術の中でもふれにくいじゃないですか。もう少しいろんな人が演劇を身近に感じてもらえればっていう気持ちはあります。いろんな人に「演劇って面白いよ」と言っても、「劇場ってよくわからないから一人では行けない」と言われるばかり。劇場に行っても見知った顔ばかりですよね。この間、『わが星』に演劇を観たことのない友達を連れて行ったら「すごい良かったけど、良かっただけに宣伝が下手なのが残念」って言われてしまって…。演劇って観たいと思っても情報をどこから仕入れていいかわからない。チラシだって劇場に行かないとなかなか手に入らない。言い方を選ばずに言うと、演劇をやっている人たちの歩み寄りもない。「観に来てね」って待っているだけのように見えてしまうんです。
――歩み寄りがないというのは?
もちろん芸術的価値はみんなにわからなくていいというのはあると思うんですけど、でも初めて来るお客さん、分かってくれないお客さんのことも演劇をする側は見なきゃいけない気がしています。演劇は興行としてお金が動くものだし、映画に比べても高いお金をもらう芸術です。わざわざ劇場に行かなきゃ演劇を観られない。その“わざわざ”に価値をつけるのが劇団の仕事です。でも、学生の私が言うのもおこがましいかもしれないけれど、そこまでビジネスとして知識を持っている主催側ってあまり多くないような気がして。フライヤーを入れていれば観に来る人は観に来るだろう。Twitterをしてれば広報になるだろう、という程度。本当に中以外の人を呼ぶ気はあるのかなって、生意気かもしれませんが、私はそう感じています。有川浩さんの『シアター!』という小説でもありましたけど、今の小劇場は決まったところでしかお金が動いていない。そこがもうちょっとちゃんとならないと、制度がいくら変わっても同じだと思います。
――実際、そうだと思います。僕もよく小劇場に行きますが、お客さんは友人やどこかしらの劇団の俳優、スタッフなど関係者ばかりで、純然たる顧客なんてほとんどいないんじゃないかと感じることがあります。
今のままだと演劇は誰も知らないまま終わっていく。興味はあっても自分で動くだけの時間的余裕なんてみんなないし、あったとしてもどこから手をつけていいのかわからないものに手を出そうなんて誰も思わない。観る人が少ないと言うわりには何もしてないなって、自分も含めて思うんです。だから、今、私がはじめたのは、とにかく自分が一緒に劇場まで友達を連れてくること。客席からいくら「面白いよ」と呼びかけたって、外にいる人は動かない。私が外に出て、その人たちとところへ行って、一緒に客席まで連れてくることが大切なんです。確かに私はただの大学生かもしれません。だけど、大学生でもそれくらいはできると思うから。
――でも逆に言うとなぜ演劇はメジャーにならないといけないんでしょうね。別に映画でも音楽でもエンターテイメントはいっぱいある。別に演劇でなければならない理由はない気がします。その中でなぜ演劇がいろんな人にとって身近にならなければいけないのか。東さんはその問いについてどう思いますか?
難しいですよね。まずは生の圧倒的空間をもっとたくさんの人に知ってほしいっていう気持ちは、演劇を好きな人間としてあります。そこに付け加えるなら、劇場っていちばん人間にふれやすい場所だということ。映画ってもっと遠い世界ですよね。でも小劇場って頑張ればその人たちも知り合えたりする。近すぎることの危うさもあるけど、人のつながりをつくれることは大きいと思います。私も今まで劇場という場所を介してたくさんの人に出会ってきました。それは映画館では残念ながらないこと。平田オリザさんの受け売りだけど、“劇場は人と人が出会う場所でならねばならない”って思うんです。だから演劇がメジャーになるということの前に、まずは劇場がいろんな人がふらっと行ける場所になれたらいいなと思います。
――劇場が人と出会う場所っていうのは面白いですね。
あと、「共感するなら本でもいいやん」って人もいますよね。でも本だとページを戻せるし読みたくなければ閉じることができる。だけど、演劇は始まったらもう戻せないし劇場から出ていかないと観るのをやめることもできない。これって、すごく大層な言い方かもしれないけど、私たちが生活していることと重なるんじゃないかなって思うんです。私たちの人生も引き返すことはできないし、辛くても途中でやめることはできない。どんなにしんどい場面でも向き合っていかないといけない。そういうことを演劇を通して経験しておくことは、きっと私たちが生きていく上で何か価値がある。私はそう思います。