学校法人高田学苑 高田高校
一瞬の煌になれ。【前編】
一瞬の煌になれ―—それは、高田高校演劇部のクラブTシャツに書かれた言葉だ。OGの先輩がつくってくれたというそのオリジナルTシャツには、3年間のすべてを演劇にかける彼女たちの信念がこめられている。どれだけ長い練習期間を注いだ舞台も、本番はわずか1時間だけ。それが終われば、もう二度と同じ芝居をつくることはできない。そんな演劇の儚さと美しさを表した言葉が、「一瞬の煌になれ」。彼女たちの合い言葉だ。創部以来初の全国出場を決めた高田高校演劇部は、文字通り舞台の上で一瞬の煌になった。その鮮烈な眩しさの裏には、果たしてどんなドラマがあったのだろうか。
(Text&Photo by Yoshiaki Yokogawa)
初の全国大会出場。奇跡を起こしたクリスマスイブ。
演出を務めた2年の茶木は、屈託なくそう笑った。初の全国大会出場。快挙に沸き立つ周囲をよそに、当事者である彼女はまだその実感を持てないように見えた。
2012年12月24日、街中がクリスマスのイルミネーションに染まる中、高田高校演劇部は福井市文化会館のホールに立っていた。愛知・岐阜・三重・福井・石川・富山の中部6県が集う中部大会。各地方の予選をくぐり抜けてきた強豪校が、たった1枚の全国への切符をめぐって、最後のステージを披露した。高田高校が演じたのは、『マスク』。日頃から風邪予防や花粉症対策で用いるあのおなじみのマスクをモチーフに、集団心理の恐怖を描いた不条理劇だ。周囲の意見に流されたり、流行に飲みこまれたり、「学校」という巨大な、そして得体の知れない集団の中で生きる高校生の息苦しさを描写した本作は、観る者に深い衝撃を与えた。結果発表は翌々日の26日。
「絶対に全国に行ってやろう、なんて思っていたわけじゃなかった」
観る人に楽しんでもらいたい。その一心で臨んだ舞台は、見事、17の出場校の頂点に立った。それは、たった1度の高校生活を舞台に捧げた彼女たちへの、1日遅れのクリスマスプレゼントだった。
地区敗退からのリベンジ。迎える2度目のコンクール。
高田高校の全国への道のりは、茶木たち2年が、まだ1年だった頃にまで遡る。中部エリアのコンクールの時期は、随分早い。地区大会の本番は、7月の終わり。参加8校のうち3校が県大会へと駒を進める。まだ入部して3ヶ月弱。お客様の前で舞台に立つことの意味も、コンクールの意義もわからないまま、茶木たちは年に1度の大舞台に臨んだ。
「先輩にもかなり厳しい練習をつけてもらいながらやってきた。だから、絶対に地区は突破できる。そう思っていたんですけど、結果はあと一歩届かなかった。正直、この夏は何だったんだろうと思いましたね」
何が何だかわからないままに過ぎ去った夏の記憶を、2年の田中はそう振り返る。過去8年間で県大会進出を逃したのはわずか1回のみ。2004年には、中部大会出場を果たした、地域でも強豪校の一角としてベンチマークされる高田高校にとっては、「惨敗」と言うべき結果だった。もう来年の夏までコンクールの舞台に上がることはない。ぽっかりと空いた空白の時間を埋めるように、彼女たちは文化祭、冬公演、春大会と、いくつも公演を重ねながら駆け抜けた。
そして高校生活2度目の春、新たに後輩を迎え、30名超の大所帯となった高田高校演劇部は、心機一転、コンクールに向けて準備を開始した。高田高校では、最初に演出を決定する。たったひとりの最上級生である3年の飯田から直々に指名を受けたのが、茶木だった。「何で自分かわからなかった」と目を丸くするが、もともとクラスでも室長を務めるなど場を仕切るのは苦手ではなかった。自分の何を先輩が認めてくれているのかはわからない。だけど、任せてもらえるならやってみよう。座組みのトップに立つ演出という重役を、茶木は受けることを決めた。
何だかよくわからない。運命を決めた『マスク』との出会い。
2012年5月。茶木を演出に据え、部員全員で脚本選定の会議が開かれた。いくつか候補作が並ぶ中、3年の飯田が推薦したのが、『マスク』だった。『マスク』は顧問の西尾教諭が手がけた創作脚本だ。自身の低い声を嫌う女子高生が、そのコンプレックスを隠すためにマスクを装着するという設定は、西尾教諭が自らの教師生活の中で目にした「違和感」がもとになっている。
「僕自身、初めてこの学校で担任を持ったのですが、クラスの中にどうしてもマスクを外さない生徒がいたんです。しかも、時期によってはその人数が半数近くに及ぶ時もある。これがもし全員がマスクをつけて登校してきたらどうするかな。そんな想いが出発点になりました」
しかし、初めて『マスク』を読んだ生徒たちの感想は様々だった。数少ない男子部員にして舞台監督の2年・渡邊は、連鎖する不気味さに惹きこまれた。一方、茶木や田中、さらに部長である2年の大塚は、一様に「よくわからなかった」と口を揃える。『マスク』は決して明快なテーマがあるわけでもない。むしろその幕切れは、後味の悪さがじわりと胸に広がってくる。
「どうしてこんな流れになるのか。どうして登場人物はこんな動きをとるのか。確かに読んだ後、怖いなと思ったけれど、自分が何に恐怖を感じているのかもわかりませんでした」
一度読んだだけではわからない。でもだからこそもっと読み込んでみたい。茶木たちは全員でこの脚本の意図は何か、分析を始めた。
やるなら、今しかない。自分たちだから表現できる芝居を。
「マスクをつけると顔の半分は隠れる。だから顔にコンプレックスがある子からすれば、マスクをつけるだけでちょっと安心した気持ちになれるんです。私の周りにも、そういう子が少しだけどいます。はじめは私には全然わからなかったけど、読んでいくうちに彼女たちのことを思い浮かべるようになりました」
針のように尖った感受性を持つ10代。中でも、自分の容姿は最も強い関心事のひとつだろう。「公演が始まってからですけど、疲れた時とか落ち込んだ時とか、誰にも顔を見られたくないなって言う時に、私もマスクをつけるようになりましたね」と茶木は言う。すべてを理解しきったわけではない。でも、どこか惹きつけられるものを感じずにはいられなかった。3年の飯田は「これをやるなら、今しかないんじゃないか」と語気を強めた。気づけば、大多数の心が、『マスク』に傾いていた。大塚は、『マスク』にひそむ面白さをこう分析する。
「『マスク』はひとつの象徴で、周りで流行っているからって流されてしまうことは、私たちの生活の中でもよくあると思うんです。音楽とかファッションとか、誰かがいいって言い出したから、みんなに一気に広がっていくような。そう考えたら、最初はよくわからなかったけど、共感できるところはいっぱいあった。その怖さを表現したいなと思うようになったんです」
やるなら、今しかない。この得体の知れない恐怖を表現できるのは、高校生である自分たちだけ。高田高校は、2004年、中部大会に進出して以来、実に8年ぶりに自校の創作脚本で大会に挑むことを決めた。
会場中を圧倒させたい。思い描く理想のラストシーン。
オーディションの末、配役が決定した。主人公・アケミは3年の飯田、その友人であるサヤカは田中が演じることに決まった。しかし、田中は練習中、ずっとある悩みを抱えていた。サヤカには、終盤、大きな見せ場がある。この物語の核となるメッセージを、サヤカ自身の口からアケミに投げかけるのだ。だが、それは決してアケミだけに向けられた言葉ではない。会場にいる観客一人ひとりの胸にずしりと鈍い棘を刺すように伝えなければならなかった。何度も何度も繰り返し練習した。しかし、その境地には届かない。客席をひとつの大きなうねりに巻き込むような迫力ある演技。頭に思い描けば描くほど、現実の自分の演技との乖離を感じずにはいられなかった。そんな田中に、茶木もまた粘り強くダメ出しを続けた。
「私の理想は、幕が下りた後、誰も客席から立てなくなるような世界。私たちの気迫に呑み込まれて、“あれってどういう意味やったんやろ”とか、そんな感想も簡単には口に出せないような、そんな幕切れにしたかったんです」
友情の大切さや、命の尊さを謳うような芝居なら、そのメッセージをストレートに観客に届ければ良かった。だが、『マスク』は決して明快なテーマがあるわけではない。むしろ台本の行間から立ちのぼる閉塞的な空気と不条理な顛末をどれだけ観る者に印象づけることが出来るか。そこに成否がかかっている。だからこそ、主人公のアケミが激しいうねりを前に急速に追いつめられていくラストシーンの演出には茶木はとことんこだわった。
「やるなら、今しかない」
その予感を、正解にするために。高校生活2度目の夏をすべて、彼女たちは『マスク』に捧げた。
>> 後編へ続く