吹原幸太

【吹原幸太インタビュー】3000人動員を突破した注目劇団の主宰が語る、劇団の育て方。

卒業したら仲間と一緒に劇団を旗揚げしたい。そんな夢を胸に描いている高校生も少なくないはずだ。けれど、実際に劇団を運営するとはどういうことなのか。代表である主宰はその中で何をしなければいけないのか。きちんと理解している人はごくわずかだろう。劇団をつくることは容易い。だが、継続していくには並大抵ではない苦労が伴う。

そこで、高校で演劇を学び、大学在学中に旗揚げをしたポップンマッシュルームチキン野郎主宰の吹原幸太氏に、これまでの劇団の歴史を紐解きながら、劇団を大きくしていく上で大切なことを聞いた。未開の土地を闇雲に歩き回っても簡単に道は開けない。ぜひこの記事を、これから君たちが目指す場所へ辿り着くための指針のひとつにしてほしい。

(Text&Photo by Yoshiaki Yokogawa)

面白くないお芝居ばっかりやって、すごい友達を失いました(笑)。

吹原さん3高校時代は、演劇部でアングラ演劇に打ちこんだ。けれど、演劇で食べていくつもりはなかった。大学の学部も、就職を第一に考え、就職率の高い経営学部を選択。演劇からは足を洗い、普通のキャンパスライフを謳歌していくはずだった。

そんな吹原の運命を変えたのは、大学2年の時に目にした一枚の張り紙。ある劇団の旗揚げの知らせだった。演劇やりたい人求む――その一文に、ふと出来心が芽生えた。大学を卒業するまでの間なら。そんな軽い気持ちで、吹原は再び演劇の世界に舞い戻った。

「それがめちゃくちゃ面白くない団体で。2回舞台をやって、すごい友達を失いました(笑)」

その上、作・演出が突然行方をくらました。すでに次の公演の劇場は押さえてある。劇団員で話し合い、それぞれ10分程度の短い自作の脚本を持ち寄った。その中で最も面白かったのが、吹原の書いた脚本だった。団体は、「ポップンマッシュルームチキン野郎」と名を改め、吹原を主宰に再始動する。

「自信もなかったし、自分が作家になるなんて考えてもいなかった。続けていこうなんて気はまったくなくて。劇場は押さえてるしとりあえずって感じでやってみることにしたんです」

そんな吹原の思惑とは裏腹に、蓋を開ければ公演は好評を博した。これまでは冷たい目とブーイングの嵐だった劇場が、称賛の声で溢れ返っている。仕事が忙しく、なかなか劇場まで来ることのなかった母も「面白い」と喜んでくれた。このまま続けてもいいかもしれない。ずっと芝居で褒められたことのなかった男の心に、初めてかすかな欲が生まれた。

超えることのできなかった「友達」と「劇団員」の溝。

緻密に練りこまれたシナリオを次々と繰り出される笑いでコーティングし、気づけばクライマックスでその周到に張りめぐらされた仕掛けに胸を掴まれ、心を突き動かされる。それが、劇作家・吹原幸太の作風だ。生粋のダウンタウン世代。少年時代からダウンタウンや、ウンナン、とんねるずの番組を毎週録画し、何度も観返して育った。笑いに対するこだわりは強い。そんな吹原ワールドは確かにファンを増やしていき、当初は「知り合いを100人動員するので精一杯」だったはずが、順調に規模を拡大していった。

「あの頃から根本のところは何も変わっていないと思います。ヘンにカッコつけようと思わないで、全部をさらけ出して面白いものだけやろうっていうつもりでやってきました」

しかし、劇団が大きくなっていこうとするほど、軋轢は生まれる。やがて旗揚げから共に歩んできたメンバーと吹原の間に埋められない溝が横たわっていた。

吹原さん2「役者たちに感情を動かしてくれって言っても、なかなかわかってもらえないし、僕もどうやって伝えたらいいかわからない。僕も彼らも未熟だったんですね。友達の延長でやってたから、厳しく言えば言うほど上手くいかなくて、どんどん友達じゃなくなりそうになる。それで、初めて下北沢に進出した『もう嫌んなるくらいハッピー!』を最後に、旗揚げメンバーが一斉にいなくなりました」

旗揚げメンバーで現在も在籍するのは、女優の小岩崎小恵のみ。その小岩崎も東京乾電池アクターズラボとしての活動があり、一旦離れた。もうここで辞めてしまおうか。折れかけた吹原の心を支えたのが、唯一残った先輩の竹岡常吉だった。

「竹岡さんが続けようって言ってくれて。そのおかげで僕もまだやってみようと思えたんです」

2007年1月、吹原は24歳となっていた。

動員数1000からの壁。見えない未来。すり減る情熱。

主宰・吹原幸太と看板俳優・竹岡常吉。新体制で再出発したポップンマッシュルームチキン野郎は着々と公演を重ね、08年の第6回公演『Everydayウキウキ!だって大統領だもんッ!』で動員1000人の大台を突破する。翌年の第8回公演『よーいドン!!死神くん』は吹原自身も「当時の自分の自信作」と認める出来。これを観たフジテレビの関係者から声をかけられ、吹原は連続ドラマ『オトメン』でドラマ脚本家としてデビューを果たした。これをバネに一気に動員が跳ね上がるんじゃないか。そんな甘い期待に胸を膨らませた。

こい!ここぞというとき!「それがピクリとも変わらなかった(笑)。そもそも動員が1000行ったら、見える景色が変わるかなって思っていたんです。それが何も変わらない。08年から5~6年の間、動員はずっと1000から1500のあたりを行ったり来たりしていました」

それは安定という名の停滞期だった。ここから先、劇団はどう化けるのか。未来の展望が見えないことほど、劇団員にとって不毛なものはない。ただ吹原は漠然と奇跡が起こるのを待っていた。誰か見知らぬ人が自分たちの才能を認めて、スターダムへと拾い上げてくれるのを信じて待っていたのだ。それは本人曰く「とても無駄な時間」だった。

「不毛」の数年間に決定打を打ったのは、長年連れ添った戦友の離脱だった。12年、第14回公演『首無し乙女は万事快調と笑ふ』をもって、旗揚げから苦楽を共にしてきた竹岡が、劇団を去った。ふたりでやっているからこそのポップンマッシュルームチキン野郎。竹岡を失うことは、吹原にとって劇団を継続する意味を喪失するのと同じだった。さらに追い打ちをかけるように、他の劇団員からも「劇団を辞めるかどうか迷っている」と相談を持ちかけられた。救世主が手を差し伸べるどころか、悪魔がハンマーを振りおろし、吹原の主宰としての自信と意地を粉々に打ち砕いた。

「結局は全部、僕が悪いんです。ずっとダラダラと先の見えないままやっていたから、劇団員にこんなことを言わせてしまった。それで、自分の力の限界を認めて、ちゃんとプロの目線で劇団をプロデュースしてくれる人を探そうって決めたんです」

面白いものをつくっていれば、観客が増えるわけじゃない。

吹原は、Twitterでプロデューサーを公募した。そこにリプライをくれたのが、現プロデューサーの登紀子だった。

「僕の中で登紀子さんと一緒にやらせてもらえるようになったのが、ポップンの最大の変化でしたね」

吹原はリプライをくれた登紀子に、「登紀子さんみたいな方がいいんですよ」とラブコールを送った。かくして池袋の喫茶店でふたりは落ち合い、正式に登紀子がポップンマッシュルームチキン野郎のプロデューサーに就くことが決まった。

「劇団員もみんな近くのファーストキッチンで待機してて(笑)。OKをもらってすぐみんなに連絡をして、一緒にメシを食べに行きました」

死が二人を分かつまで、愛し名プロデューサーの加入は、長らく停滞していたポップンマッシュルームチキン野郎に革命をもたらした。ずっと吹原は面白いものさえつくっていれば、お客様は観に来てくれると信じていた。だが、面白いものをつくるスキルと、面白いものをいろんな人に、しかも快適に観てもらうスキルは、まったくの別物だ。吹原たちには、その技術が決定的に欠けていた。惑星ピスタチオを関西随一の人気劇団に押し上げ、これまで数々の劇団の制作を担ってきた登紀子は、まさに「商品」を多くのお客様に知ってもらい、気持ち良く劇場まで足を運んでもらうプロだった。問い合わせに対するメールの文章ひとつとってみても、随所に誠意が見てとれる。その心配りに、吹原たちはプロとしてのあるべき姿を学んだ。

2年後に3000人動員へ。未来が見えたことで、今が動き出した。

そして、もうひとつの大きな革命が、劇団員たちの意識の変化だ。それまで吹原は劇団としてどこに向かっていきたいのかビジョンを示すことができなかった。しかし、登紀子は早々とある宣言をする。

――2年後の2015年2月、劇団10周年の節目の公演で動員3000人を目指す。

それは、動員数を1000に乗せるのにも身を削るような想いだった吹原には、にわかに信じられない数字だった。だが、吹原は信じるしかなかった。今まで自分の感覚を頼りにやってきて、この窮状だ。ならばもう自分を信じるのはやめよう。たとえ実感はなくても、登紀子の指し示す道を信じて走り出そうと思った。

「未来が見えたおかげで、劇団員の意識もかなり上がりましたね。やっぱりいくら頑張ろうと思っても、何となくじゃ頑張れない。目標が見えれば、それを達成するために今この瞬間に何をすべきかが明確になる。それぞれが自分の今やるべきことに本気で努力できるようになったのも、登紀子さんのおかげです」

うちの犬はサイコロを振るのをやめた113年以降、ポップンマッシュルームは今まで以上にピッチを上げ、戦略的に公演を打つようになった。13年・14年と『黄金のコメディフェスティバル』に参加、2年連続で最優秀賞を獲得した。14年7月の第18回公演『うちの犬はサイコロを振るのをやめた』では動員2000人を突破。3000人という大目標に向け、加速度的に劇団が成長しはじめた。

一方、登紀子の加入は、劇作家・演出家としての吹原にも多大な影響を与えた。登紀子はいつも吹原に「ここまでだと思わないで」とアドバイスするそうだ。

「“演劇ってもっと自由なものだから。もっと突き抜けた発想を持って、誰も届かないところまで行けばいい。まとまらないでほしい”ってよくそう言われましたね」

もともと作家としての吹原は「リライトの数だけ完成度が上がる」という信条の持ち主だ。初稿が最高だなんて間違っても思わない。稽古を経ながら何度も改稿を試みる。それが、最も象徴的に結実されたのが、第19回公演『独りぼっちのブルース・レッドフィールド』だった。

奇跡のラストシーン誕生。そして、念願の3000人動員達成。

独りぼっちのブルース・レッ登紀子が加入早々に掲げた、動員3000人突破の目標地点。それが、この第19回公演だった。普段以上に吹原の筆にも熱がこもる。

『独りぼっちのブルース・レッドフィールド』は、至近距離で銃声を聞くと、記憶が25年前に戻ってしまう記憶障害を抱えたガンマン・ブルースが、25年前に殺された最愛の家族の敵を討つべく犯人を探して旅をする復讐劇だ。当初、クライマックスにはブルースが家族を奪った犯人を自らの鼓膜を破って殺害するハードで凄惨な結末が用意されていた。安易に犯人を許すラストが、吹原の中ではどうしても腑に落ちなかったのだ。けれど、考えれば考えるほどに、その想いが揺らぎはじめた。

「自分がこれを書いている意味は何だろう。わざわざお金を出して観てくださったお客さんに、いったいこのラストで何を与えられるのだろうって。もちろん何もないとは言わないけど、ベストではない。そこで、もう一度、結末を書き換えることにしたんです」

そして誕生したのが、観客の想像を上回る温かくも切ないクライマックスだった。吹原自身、この結末は「想像の範囲外だった」と語る。決して小さくまとめようとせず、自分の限界の先へと突き抜ける。苦しみながらもそのことにこだわりぬいたからこそ辿り着いたラストシーンだった。この『独りぼっちのブルース・レッドフィールド』は主演に文学座の渡辺徹を招き、11ステージで動員3000人を突破。2年前、「未曽有の数字にしか思えなかった」という大目標を、吹原たちは宣言通りに達成したのだった。

演劇をやるなら考えておきたい、営業とバイトの重要性。

長い劇団の道のりを振り返り、吹原は劇団を運営する上で大切なことをこう語る。

うちの犬はサイコロを振るの「第一に主宰は覚悟を持つこと。主宰は、劇団員の運命を背負っている。だから、劇団員が幸せじゃないなら、それは主宰の責任。その覚悟を持たないといけないと思います。その上で、仲間を探す時は、まずはつくりたいものが同じかどうか。そこが同じなら、ひとつは公演が打てます。その先も続けていくつもりなら、単に気の合う友達ってだけじゃできない。大切なのは、自分と同じくらい続けたいという意志があるかどうか。そういう仲間と青春を送れるのは、とっても素晴らしいことですよね」

そしてもうひとつが営業マンの存在だ。

「僕たちは誰も社会人経験がない中で劇団をやっていた。だから誰も営業ひとつしたことがない。特に学生のみなさんが今から劇団を立ち上げて売れていこうと思うなら、登紀子さんのような制作のプロの力は絶対に重要だと思います。もちろん、それは外部からそういう人を連れてきた方がいいということではなくて、仲間の中にひとり、それを極めようという覚悟のある人がいたら、すごく強みになるんじゃないでしょうか」

演劇だけで生活をするのは難しい。軌道に乗るまでは、必然的にバイトがつきものになる。

「バイトをする時は、シフトの融通が楽だからっていう理由で、コンビニとか演劇に関係のないものを選ぶのはやめた方がいい。お金がないうちは、バイトをしている時間が生活の中でいちばん長い。だったら、そこをどう有効に活用するか考えないと。僕は大学1年から7年間、ずっとCM制作会社でバイトをしていました。そこで1枚の画を撮るのに、いい大人たちが何十時間もかけて、たくさんの資料を集めて、ああだこうだ言い合っている姿を見て、プロの仕事というものを学べた。フジの方がお芝居を観てくれたのも、CM制作会社にいたからです。僕が今学生なら、お金を持ったエライ人がいっぱい出入りするような六本木のバーでバイトがしたい。まったく関係のないバイトをしているのに、芝居にすべてを注いでいるって顔をしちゃダメ。何か関係ある仕事を選ばないと、絶対に後悔すると思います」

演出家の役目は、役者を愛すること。

現在、吹原は劇団以外にも、映画やテレビドラマ・ラジオドラマなど、様々なフィールドで脚本を提供している。

「脚本家になりたいなら絶対に勉強はした方がいいです。脚本のシステムはいろいろあるけれど、たとえばアメリカの脚本術はプロなら誰もが知っているし、わかっていないと会議で話が通じないことも多いです。僕はテレビドラマの仕事をするようになって、ようやくその手の本を片っぱしから読んで勉強するようになった。もちろん脚本はシステムだけが全てじゃないので、勉強したから面白い脚本が書けるというものでもありませんが、演劇だけではなく、いろんなジャンルの脚本がやりたいなら、プロの現場の人との共通言語を知るという意味でも、早いうちから学ぶに越したことはないと思います」

その上で、特に高校生が脚本を書くなら、「大して問題意識のないものはやらない方がいい」と吹原はアドバイスを送る。

独りぼっちのブルース・レッドフィールド2「脚本は設計図。書いている人に明確なビジョンがあるか問われます。だからお芝居でやるなら出来る限り切実なものを書いた方がいい。今自分が直面しているものや悩んでいること、こうありたいと願うものが脚本の根底にないと、人の心は打たないかなって思います」

そして、演出家のいちばんの仕事は「役者を愛すること」だと持論を語る。

「そもそも役者って、舞台の上でしか生きていけない人なんです。だから、そんな彼らが舞台上で上手に生きられるようにすることがいちばん大事。それは優しくしてあげることでも仲良く遊ぶことでもない。役者をきちんと認めてあげた上で、お芝居に立ち向かえるよう背中を押してあげること。もちろん芝居の質を高めるために厳しいこともたくさん言います。彼らの尊厳だって踏みにじらないといけない場面も多々ある。でも、そんな時だろうと、僕は稽古中は劇団員には毎日“君が好きだよ”“信用してるよ”“ちゃんと芝居を見ていたよ”って伝えてあげたいなって思っています。それが演出家の仕事だと思うから」

ついつい演出家の役割と言えば、役者の動きを考えたり、スタッフワークにアイデアを出すことだととらえがちだが、演出家に必要なのは「忍耐力」だと吹原は言う。

「役者の歩く方向から振り向くタイミングまで最初から演出が指示を出してたら、役者はただの操り人形になっちゃう。それだと絶対に伸びません。とにかく演出家は役者から何か出てくるまで待ち続ける。そこから出てきたものに的確なことを言って、その質を高めてあげられればいい。僕もすっかり劇団の稽古場では、見ているだけのオジさんみたいになっています(笑)。あとは、とにかく“自分はこんなもんだ”とまとまらないこと。そもそも“自分はこんなもんだ”って現状に満足している人が表現をしちゃダメ。自分がどんなものかわからないからこそ、人は表現をするんだと思います」

吹原は自らの劇団員のことについてなら「ひとりにつき3時間でも語れると思います。いや、3時間じゃ足りないくらいかな」と笑う。役者のいいところも悪いところも全部理解した上で、受け入れ、絶対的に信用する。それが主宰の器というものなのだろう。

「“これからこっちに行きたい”“次はこういうのがやってみたい”とビジョンを明確に発信するのが主宰の役目。いちばんやっちゃいけないのは、劇団員に対して嘘をついたり見栄を張ったりすることです。もしそこへ向かう方法がわからなくても、“ここに行きたい”って言えば、みんなどうやったら行けるか一緒に考えてくれる。それが劇団の良さなんです」

ワクワクする未来に向かって。今、高らかに帆を上げ、舵を切る。

小劇場で11年、吹原は演劇を続けてきた。先日の『ゲキ部!』の記事であった「今の小劇場は決まったところでしかお金が動いていない」という指摘について、その当事者のひとりである吹原は何を思うのだろう。

「演劇を好きでいてくれる大学生の方にそう言われてしまうということは、やっぱり僕たち小劇場にいる人間に責任があるんだと思います。たとえば、僕から見てもチラシにあらすじも書いていないものを見ると、本当に一般のお客さんに来てもらいたいのかなって疑問に思うことはある。公演を成立させる上で身内を呼ぶのは現実として仕方ない。でも、その中でも内輪に向けて作っているなんて絶対に思わせない努力は必要。お客様の見送り方ひとつとっても、もっといろいろ工夫の仕方はあるんだと思います。僕はまだ修行中の身。まだ結果を残していないのに、演劇界を変えようなんて大きな話は言えません。でも難しい問題だけれど、ちゃんと考えなきゃいけないことだというふうには受け止めています」

吹原さん4では、11年目を迎えたポップンマッシュルームチキン野郎主宰・吹原幸太は今、これから自らの愛するカンパニーと共にどこを目指そうとしているのだろうか。

「今の目標は大阪で公演をすること。この間、大阪に行ったんですけど、活気があって、生命力があって、一気に大好きになった。僕は公演の2時間はお客さんも劇団員だと思っているんです。大阪のお客さんとポップンでどんなお芝居がつくれるか考えるだけで、すごく楽しい。やっぱりワクワクすることをやりたいじゃないですか。僕が今、いちばんワクワクするのは、大阪でお芝居をすることなんですよね」

先が見えず、果てしない海洋を彷徨っていた頃の面影は、もうない。次なる宝島に向けて、吹原は意気揚々と帆を上げる。ポップンマッシュルームチキン野郎が目指すのは、いつだって“もっとワクワクする未来”だ。

INFORMATION

そんな吹原幸太さんが7月17日(金)に

大阪市立芸術創造館にて大阪では初のワークショップを開催します。

東京でぐんぐん注目を集める人気劇団のメソッドをこの機に学んでみては?

一般の方はもちろん高校生も受講可能なので、

新しいことを学んでみたいという方はぜひご応募ください。

詳細は、芸創ホームページをチェック!

 

■芸創ラボ・W開催!ポップンマッシュルームチキン野郎主宰・吹原幸太の「脚本WS」&「演技WS」

2015年7月17日(金) 13:00‒16:00

「舞台作家がテレビドラマ脚本を書くために必要なこと」

2015年7月17日(金) 17:30‒20:30

「次の公演ですぐに役立つ!演技で観客の心を揺さぶるために必要なこと」

 

■アイビス・プラネット大上映会

翌18日(土)・19日(日)の2日間にわたって、SPACE9(あべのハルカス9F)にて

記事内にも登場した登紀子プロデューサーが代表を務めるアイビス・プラネットの上映会が開催されます。

ポップンマッシュルームチキン野郎はもちろん、人気劇団X-QUESTやBLACK★TIGHTS、

そして伝説の惑星ピスタチオやシャトナー研など至高の傑作舞台が一度に楽しめるチャンス!

詳しくは、ホームページをご覧ください!

PROFILE

吹原さん5■吹原幸太

1982年12月23日生まれ。神奈川県出身。

脚本家、演出家、小説家、構成作家、俳優、声優、ナレーター。

劇団ポップンマッシュルームチキン野郎主宰。

法政大学在学中に劇団を旗揚げし、現在も都内を中心に活動中。

最新作は、渡辺徹(文学座)を主演に迎えた『独りぼっちのブルース・レッドフィールド』。

8月には、6つの団体がそれぞれ15分の短編舞台を上演する『15 Minutes Made』への参加が決定。

本公演としては、10月にCBGKシブゲキ!! にて『錆びつきジャックは死ぬほど死にたい』の上演が決まっている。

演劇活動の傍ら、フジテレビドラマ『オトメン』(主演/岡田将生・夏帆)を皮切りに、多数のテレビドラマの脚本を多数手がけている。2014年は年間で50本以上のドラマ脚本を執筆。2015年3月には脚本を担当したドラマ『敏感探偵ジャスミン~熱海小説家殺人事件~』(ABC放送制作)が関西ローカルにてオンエアされた。

近年はテレビドラマ以外のジャンルにも精力的に作品を発表しており、映画『日々ロック』(監督/入江悠、主演/野村周平・二階堂ふみ)で長編映画脚本デビューした他、2013年に自身が脚本を担当したドラマ『超絶★絶叫ランド』のノベライズを手がけたのをきっかけに小説家としても活動中。

また、演出家としても精力的に活動しており、2015年夏には東京ドームシアターGロッソで『手裏剣戦隊ニンニンジャーショー』の脚本と演出も務めることが決まっている。

 

○公式twitterアカウント:@FukiharaKota

○ポップンマッシュルームチキン野郎公式ホームページ:http://www.pmcyaro.com/

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