西田シャトナー

【西田シャトナー インタビュー】誇り高き道を行け。【前編】

「人にアドバイスを送る役目というのは、僕の使い方としては誤りだと思います」。そう西田シャトナーは苦笑を浮かべた。1990年、「惑星ピスタチオ」を旗揚げ。舞台では不可能と考えられていたSF映画のような壮大な世界を俳優の肉体のみで表現したパワフルでダイナミックな演出は、当時の演劇界に大きな衝撃をもたらした。劇団解散から15年、今なお未踏の荒野を進撃し続ける孤高の冒険者は、『ゲキ部!』に何を語るのか。その眼差しは、表現者としてどこまでも迷いがなく、澄み切っている。

(Text&Photo by Yoshiaki Yokogawa)

大切なのは、観客にどんなプレゼントを贈りたいかということ。

――そもそもシャトナーさんご自身は高校演劇をご覧になったことはありますか?

ありますよ。特に関西にいた頃は何度も大会の審査員をさせてもらいました。一度、僕が県大会で最優秀賞に選んだ作品が、全国優勝までいったこともあるんです。

――それは、何という作品ですか?

川之江高校の『ホット・チョコレート』(2001)です。本当にいい芝居で、あの時は僕が審査委員長だったので、先生方の意見をお伺いした上でですけれども、最終的には僕の一存で最優秀賞に選ばせてもらったんですよ。

――高校生の演劇をご覧になっていて、いい芝居だと思うものとそうでないものの違いはどこにあるんでしょう?

僕自身が面白いなと思うのは、「高校演劇」という入れ物にこだわっていないものですね。特に大会で上演されるものは、若いし、勝ち負けにこだわってしまう時期だし、先に進みたいという気持ちが強くて、目の前の観客のことしか見られていない芝居が多い気がします。

――と言うのは?

たとえ目の前には100人の観客しかいなくても、その人たちには家族もいて友達もいる。目の前の観客を入口にして世界中に影響力が広がる可能性があるのが演劇ですよね。だけど、劇場にいる審査員や他校の生徒、先生方に対して、自分たちの芝居を評価するかどうかというモードで芝居をしてしまうと、どうしても観客も評価をするものだという目線で見てしまう。

演劇は自分が評価を勝ち取るためのプレゼンじゃない。演劇は、観客にプレゼントを贈るもの。観客に何を贈りたいのか。どんな幸福を与えたいのか。与えたいものがあってこその演劇なのに、自分たちが評価されたい一辺倒なんです。そういう人たちを、僕はつくり手とは考えていないし、評価されることばかりを求めている作品が外に出ても仕方ないかなと思っています。

演劇とは、未知の領域への冒険。

西田シャトナー9――ただ一方で、どうしても大会の時期になると生徒の間で審査に対する批判の声が沸き上がってしまうのが高校演劇の現状だったりします。

僕自身は、審査員を信じたいですね。個人の好みで選ぶというのは論外ですが、何が好みで何が好みじゃないか定義づけるのはまた難しい。

僕としては、勝つことを目的にした作品ではなく、ただひたすらにつくられた作品を選びたいと思っています。たかだかその年の賞をターゲットにした小さな作品なんかじゃなくてね。もっとその作品が今年生み出されることによって何か影響が広がって、去年より世界が良くなったと思えるものを、世界を良くしたいくつもの出来事のひとつだったと言えるものこそが上に進んでほしいし、たくさんの人に観てもらえたらいいですよね。

――たとえば、審査について何か明確な基準を設けたらという声もしばしば上がります。

率直に言えば、そんな基準を設けられるほど日本の演劇者たちはまだ成熟していないと思う。スポーツでたとえるなら、まだラグビーがラグビーと名前をつけられていない頃の状態と同じ。そんなさしたる技術の発展もない中で、たかが大会でケンカが起きないようにするために基準を設けるなんて思い上がりも甚だしいですよ。

――何か物差しで測って点数化できるものではない、と。

そもそも演劇だけじゃなく、アートっていうのは、人類の知的領域の淵にいて、その淵を耕そうとしたり、もうちょっと先まで前進しようとしているものです。基準なんてない世界だし、一歩先に進めば何があるかわからない。もしかしたらいきなり虎が出てくるかもしれない。けど、じゃあ虎が出たらこうしようとかルールや対策を決めてる余裕なんてないですから。できるのは、全員で踏みこんで、そこに何があるか気持ちの入った目で判断していくことだけ。

そこに基準を設けるっていうのは、くだらない話ですよ。しかも何のために基準を設けるかといったら、社会として公正であるためであって、それは演劇にとって何の役にも立たない。せっかく誰も行ったことのない未知の領域を冒険しようとしているのが演劇なのに、ケンカしないために基準をつくるなんて、そんな人たちは誰かがつくった演劇のマネをして、安全な街の中で楽しいことをしてたらいいんじゃないですか。

――ただ、どうしても納得がいかない評価に傷ついたり悔しさを感じる生徒はいますよね。

もちろんその悔しさはわかります。もし素晴らしい作品があって、それが大会で選ばれなかったら、若者だし悔しいと思います。でも一方で、若いって言ったって8歳や9歳の子どもというわけでもない。15歳から18歳といえば、冒険者としては自分の足で立たなきゃいけない年です。だから、もし選ばれなかったとしたなら、自分の作品はダメだって思うんじゃなくて、こんな作品が選ばれないなら大会に意味はないということを知って、自分の作品を観てもらえる別の場所を探せばいい。

たとえば、街の片隅の喫茶店で公演をしたとする。結果、10人しか観てもらえなかった。だけど、その内容が1000人の観客が観た大会の芝居より素晴らしいケースはいっぱいある。大会がハイライトという気持ちもわかるけど、高校生と言えば多くの人が誰かしらの扶養家族という時期。せっかく人に養ってもらってるんだから、その時期こそしっかり世界を見たらいいと思う。

芝居やアートは人から学ぶものじゃない。

――そこで、ぜひシャトナーさんから、今、演劇と向き合っている現役高校生のみなさんへのアドバイスをお願いします。

僕、自分から何かアドバイスをしたいということは正直ないんです。もちろん「こうしろああしろ」と言われないとできない子たちもいるので、そういう子たちには何かアドバイスが必要かもしれないけど、それをする人は他にもいっぱいいるから僕がやらなくてもいいかな、と。実は、今回僕がこうしてインタビューをお受けしたのも、今の若者の中にもきっと僕に似ている人がいると思ったからなんです。

――それは、どういう意味ですか?

たとえば、劇団を旗揚げしたばかりの頃、よく先輩演劇人から「先輩たちのお芝居をなるべくたくさん観た方がいい」って言われたんです。だけど、僕は頑として見なかった。それはとてもくだらない意見だと思ったから。

僕は時間があるなら、人がつくった演劇を観るより、道端の石とか草とか空とかを見ていたい。あるいは百歩譲って道端に座って街を行く人を眺めたり、あるいは寝転がって目を瞑って自分のカラダの隅々に思いを巡らせたり。そういうことの方がどう考えても大事だと思っています。

芝居やアートは人から学ぶものじゃない。詩人のランボーが詩をつくるために他の人の詩を研究してるとしたらがっかりでしょ? 物事には教育機関で学べるものとそうでないものがある。もし草花や空や海や掌を見てつくるものが何もないなら、その人は何もつくらなくていいと僕は思う。

――つい周りの大人は「もっといろんな芝居を観るべきだ」とアドバイスしてしまいがちですけどね。

もちろん演劇を観て勉強して、そこから演劇をつくる人の演劇というものがあってもいいと思いますよ。ただ、それは僕には興味のない世界の話。「他の人の演劇を観ろ」という先輩の芝居が面白ければそうすればいいし、花とか掌を見て芝居をつくっている僕の演劇が面白いと思うなら、そうしたらいい。

そもそも先輩を参考にするというのも、おかしな話です。僕はオリジナルにしか興味がない。誰もやったことのないことをやり始めた人にしか興味がないんです。そういう初代になる力を持った人たちは、高校生の中にもきっといるはず。だけど、大人の発言力はすごくデカい。うっかり若い時にそんな必要のない養分を吸収して彼らが根腐れするのはもったいない。ちゃんとこうして自分と同じ考えでやってるオッサンもいるんだということを伝えたかった。先輩たちの意見とまったく違うことをやってもこれだけできるんだということを体現してる人がいることを知ってほしかった。それで、このインタビューをお受けしたんです。

誇りを持って死を迎えられる人生を。

西田シャトナー8――でもしんどいですよね、そういう生き方は。

しんどいです。哀しいこともたくさんあるしね。ただ、そこまで踏み込んで言うならアドバイスはあります。僕はみんなに誇り高き道に進んでほしい。辛いことや悲しいことや孤独なことがあっても、それで死んでいけるなら何も悔いはないと胸を張れる。そんな誇り高き道を探してほしい。

だって、絶対そっちの方がいいですよ。どうせ僕たちは100年も生きられないんだから。他人の言うことを聞いて今いちな人生を送るくらいなら、誇り高い道を行った方が絶対にいい。

ちょっと見渡してみても、自分の人生にグチグチ不満を並べている大人はいっぱいいる。僕にはその人たちが全然楽しそうには見えないんです。なぜもっと誇り高い道に行こうとしないのか。なぜ誇り高い道を行こうとしている若者に「もっと大人の話を聞け」と言うのか。たとえば、よく「結婚は墓場だ」って言う人がいますよね。

――はい。そういうのは大抵既婚者が言ってます(笑)。

そう。だったら、一生独身でいるか、本気で純愛するしかない。ちなみに僕は純愛をして死にます。そう言うと、「若いね」とか「青いね」とか「大人なったらわかるよ」とか言う大人はいるけど、そんなくだらない大人の言うことなんて聞く必要はない。

――お話を聞いていると、自分自身も、正直、「こう言っておいた方がまるめこみやすい」って理由で、若い子たちの可能性をつむいでいるんじゃないかって気がしてきました。

大人は自分がいっぱしのものだって思いすぎなんです。そもそもろくな世界をつくれてないじゃないですか、大人なんて。戦争ひとつ終わらせることさえできてないんですから。だったら、そんな先輩の言うことなんて聞いてないで、一人ひとりが最も誇り高い道を進んだらいい。そういう子たちならきっと戦争は終わらせられるし、素晴らしい世界をつくることができますよ。

――そんな子たちが出てきてほしいな、と思います。

そもそも演劇に限らず、アートとは新しい世界をつくるためのもの。誰かの言うことやつくった道に従う必要なんてないんです。それこそ全国大会で優勝するより誇り高い道いっぱいありますよ。何だったら僕は、「大会には一度も出なかったけど、3年間ずっと学校の喫茶店で芝居をやっていました」っていう子の芝居の方が観たいです。たとえ少なくとも、十数人には観てもらえるわけじゃないですか。それを3年間ずっとやってきた方が、きっと面白い。そういう気合いの入ったことやってほしいですね。

――つい横並びを求める世の中に同調したくなるんですよね(笑)。

世の中のせいにしちゃダメです。高校生のうちは養ってもらってるんだから、ゲームで言うとライフポイントが無限にある状態。だったら思い切り自分のやり方でやったらいいと思いますよ。

 
 

※独自の信念と哲学を語る西田シャトナー。その言葉の裏側には何があったのか。後編は、人間・西田シャトナーに迫ります!

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